プロフィール

長い文章になります。ざっくりとした略歴はコチラ

ここでは私の生い立ちからエンジニアとしてのキャリア形成、現状とこれからやりたいことまでを書かせていただきます。

アンタのことなんて詳しくは知りたくないよ~という方は無理に読まなくてもいいですよ。

名前 よっち
※もちろん偽名です。本音のブログをするのため本名は伏せます。

出身、住所 東京都

子供時代から大学デビューまで

70年代初頭に東京に生まれる。平凡なサラリーマン一家で普通に育つ。

小学校はごく普通に暮らしていましたが、中学生くらいから人嫌いになる。別にいじめを受けていたわけではないが、まあいわゆる中二病ってやつです。

俺以外全部馬鹿

このころはガンダムを筆頭にアニメにはまる生活。

高校に入って病状はさらに悪化してしまう。友人は誰もおらず。しかも教師と対立して登校拒否。

なんか自分で書いていて大丈夫かなこの自己紹介?

幸い、高校は進学校だったので浪人せずに大学には行けたけど、周りが行った大学に比べて偏差値が低いとこにしか行けなかったことがコンプレックスになる。(一応、東邦大学ってとこです。すまん東邦大の同胞よ。。。)

専攻は物理科を選択。子供のころからアインシュタインにあこがれて理論物理学者になりたいと思っていた。宇宙の始まりとか興味があったんです。

とはいえ、大学でも高校の延長のまま対人的な孤立を深め1年生の時は授業と自宅の往復のみで終わり。何も楽しいことはなかった。2年生もそんな感じでした。

しかーーし!大学の3年生くらいから何かが変わってきた。友人ができ始める。なんか彼女みたいのもできてきたぞ?いわゆる大学デビューとはこのことか!?

このころの心境の変化は今でも覚えていますが、自分が特別な人間であるというヘンな自意識を捨てることができたことが大きかったと思います。

めでたく中2病卒業です。

 

研究室生活から就職まで

そんな感じで3年生から普通の大学生活をはじめる。4年で基礎物理の研究室に配属。素粒子(クォーク)を調べる研究をしていました。就活はせずにそのまま院に残ることに。

この時点ではまだ物理学に未練があったのです。

大学院時代はつくばにある高エネルギー加速器研究所(KEK)という場所に通って素粒子の研究を続けます。といっても修士課程の院生なんてのは担当教官のお手伝い要員でしかないです。

このころコンピュータをつかったプログラミングを学びます。よく考えたら今とやってることはそんなに変わらないかも?

当時はLINUXがまだマイナーでSOLARIS(UNIX)っていうのを使って、今と同じようなコマンドを打っていましたね。

コマンドラインから共有プリンターを操作したら、パラメータのミスで用紙(500枚くらい)を全部ゴミくずにしてしまったのは、今ではよい思い出です。

あっという間に2年は過ぎて、現実に戻される。物理で食っていけないことはKEKで身をもってわかったし(東大の院生でも厳しい世界でした)

仕方なく就活をするにはしたがバブルがはじけた後の氷河期時代、あまり順調とは行かずに、とりあえず友人のツテで船会社の情報システム子会社に入ることができました。

しかし情報システム会社では営業職に配属されてしまい1年で小さなシステム開発会社へ転職する。やっぱ営業は向いてなかったです。。。

とまあ。。。ようやくITの話が始まります。ここまで読んでくれた方、お疲れ様でした!

ここからITの話です。

 

エンジニアとしての出発

今回も友人のツテで小さなシステム開発会社に入ることに。しかし、いきなり偽装多重派遣の洗礼を受け、大手のSIerに出向することになる。

偽装多重派遣とは、身分を偽って、複数の派遣会社を通して大きな会社の外注要員になることです。厳密には違法です。

ここでは、外注要員と正社員の間に身分差別がありました。人にもよりますが、ひどい奴は外注を、まさしく害虫扱いするやつもいます。

でも技術的な部分に関してはフラットでいろいろな仕事に挑戦できました。ある意味ラッキーでした。

4年ほど在籍し、ここでITの基本をマスターしました。プログラミングからネットワーク、セキュリティまで幅広くです。そうゆう意味では感謝しています。

ちなみに、最初の1年目に当たったリーダーの正社員は今でも死ねと思っています。奴隷扱いされて今でもトラウマです。でも2年目からリーダになった人はとてもいい人でしたので、ほんと配属先によりますな。客先常駐は。。。

その後は自社に戻りJAVAを使ってサイト開発をはじめる。で、ほどなく給料の安さや待遇の悪さから転職。

この頃は着メロサイトとか壁紙サイトとか、要はガラケーのサイトがどんどん生まれていた時期で、そうゆうサイトを作っていた会社に転職しました。

そこでサイトをバンバン作って、作って、作って、気がついたら会社が吸収合併されていました。。。。

どゆこと?数年で自分の会社の名前が2回も変わるなんて!

まあこの時期は、キャリア的にはプログラマからSE、プロマネ的なポジションになってましたので、エンジニアとしては順調なキャリアアップをした時期です。

会社自体も吸収合併を繰り返した結果、業界でもなかなか大きな存在に。

でも吸収合併だから、内部の人にとっては給料が下がったり管理職の人はポストが減って首切られたりで、決して幸せな感じではありませんでした。

 

新規事業をするために転職、出戻り、独立

このまま会社に居ても、これ以上のキャリアアップはもう無理かな?と思い転職エージェントの紹介で同業他社に転職をすることに。

紹介されたのは新規事業部門の技術部長というポストでした。年収もたくさんもらえる!

ここでの新規事業の話はブログに書きましたのでご興味があれば。

新規事業というのは楽しいものです。そして、これから自分のエンジニアライフも開けていくぞと思った矢先に新規事業はナシになりました。

部長のポジションもなし!自分も今後どうするのかの選択を迫られることになりました。一兵卒として会社に残るオプションもあったのですが、転職前に居た会社の役員に事情を話したら、戻ってきていいと言われて、元居た会社に出戻り。

ちょいとカッコ悪いですが、まあ仕方ない。

ここで、裁判にもなったデスマーチ案件に投げ込まれ(これは禊ぎですな)、心身ともにボロボロになりました。このころは会社も人の入れ替わりが激しくなり、出戻りの為に尽力してくれた役員さんもクビになってしまいました。

そんな中一緒に案件をやっていた人が会社を起こすということで誘われて独立。

フリーランスのエンジニアとして元居た会社の同僚から仕事をもらう立場になりました。(いまもお仕事もらってます)

 

MBAいったり起業してみたり

お仕事の方は安定してもらえることになりましたが、このままフリーランスでいいのかという葛藤は最初からありました。

もしかしたら会社を作るべきかもしれない?とにかくエンジニアとしての知識ばかり詰め込んできたので会社というものをよくわかっていない自分がいました。

そこで、何かを変えたくて早稲田のMBAを受けてみたら、なんと合格

昼はエンジニアとして開発を行い、夜は学生という2重生活の始まりです。結構きつい日々でしたがそれなりに充実。

本ブログでは技術的な記事の他にマーケティングの話とか、いろいろ書いていますがこの2年間で得た知識がベースになっています。

MBAの2年目には中国からの留学生と一緒に起業をすることができました。そして見事に失敗しました。このあたりはブログに書きましたので、よろしければご一読ください。

 

葛藤、そしてこれから

起業には失敗しましたが、スタートアップでの経験はとても楽しいものでした。なので、MBA卒業後も本業の仕事をしながら、別のスタートアップを細々と手伝っておりました。

また自分自身でも転売系のビジネスを始めてみたんですが、たいして儲からずに店は休眠中。

本当に事業を立ち上げるのは難しいと実感しております。MBAでお勉強した内容だけじゃ到底太刀打ちできないです。

それでも今後も事業の立ち上げには関わっていきたいと考えています。

ただ、もう自分で事業を興したりすることはないと思います。やはり私はエンジニアなんです。何か作っている方が好きなんです。

であれば新規事業に対してエンジニアの立場から支援する仕事が向いているのではないか?

と今は考えております。今後はMBAで学んだ、起業した経験を持つ、一風変わったエンジニアとしてお客さんに貢献できれば幸いです。