愛の反対は無関心な件

読売新聞のナベツネが死んだかと思ったら誤報だったようだ。残念!

とは言え、今はそこまでナベツネが嫌いではないので、よかったねと言っておこう。

そもそも私は子供の頃は大の巨人ファンでした。しかし大きくなってくると大人の汚いところが見えてきます。

巨人の場合は金の力で何が何でも優勝を目指す、汚い集団と考えるようになり、アンチになりました。ナベツネは悪の権化です。

しかし、時は移り、アンチにも飽きてきて今は野球自体に興味がなくなっています。数年前に巨人が優勝したときも、「あ、っそ」という感じでした。

誰かの言葉かわかりませんが、愛の裏返しは憎しみではなく無関心であるというのはホントに事実だと思います。

他の例としては、私は実家が某新興宗教にハマっており、子供のころはその宗教を信じておりましたが、十代になってからはその欺瞞に気づき、親と衝突ばかりしていました。

しかし40を超えると、もうどーでもいいのです。

というか、今は実家には住んでいないので、距離をとれているのですが、たまに実家に帰った時に宗教の話は極力避けるようにしています。

まあ宗教の話をするのであれば実家にもう帰らないと宣言しているので、親も話題にしません。

あと、最近同じような反応になった事例としては、韓国に関する認識ですね。

昔は知人がいたのでそこそこ韓国好きだったのですが、近年の韓国のトンデモ行動で反韓になり。。。でももうその話題も飽きました。

今ではミャンマーとかカンボジアとか、アルジェリアのような、どっか遠い国と同じ。もうどうでもいいです。

憎しみがあるうちは、まだどっかに愛の残骸があるのだと思います。

愛が完全に失われたらもうどうでもよくなる。興味も無くなるのが人間の反応っぽいですね。

とまあ、なんとなく最近思ったことを書きましたが、別にITに記事を縛っているわけではないのでまあいいか。

ではでは今日はこのへんで。

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