流石に異世界すぎないか?

先日、何気なくテレビの番組表を眺めていた。

30分アニメが3本続いている。

1本目、異世界もの。

2本目、異世界もの。

3本目……また異世界もの。

「さすがに偏りすぎじゃないか」と思って別のチャンネルを見てみた。

そこでも異世界ものだった。

どれだけ異世界が好きなんだ、日本人。

私はアニメをそこまで熱心に見る方ではないが、『転生したらスライムだった件』くらいは見ている。

異世界ものの元祖ではないものの、このブームを代表する作品の一つであることは間違いないだろう。

当初は本当に面白かった。

主人公がスライムという意外性もあり、弱い立場から少しずつ仲間を増やし、国を作り、世界を広げていく。その成長を見ているだけで楽しかった。

しかし、大ヒットすれば当然「2匹目のどじょう」を狙う作品が大量に現れる。

転生先が違う。

職業が違う。

追放された。

悪役令嬢だった。

実は最強だった。

設定を少し変えた異世界ものが次々と作られ、今では毎クール大量に放送されるようになった。

ネットを見ても、「異世界疲れ」という言葉を見かけるようになった。異世界作品を数多く送り出してきたライトノベル市場も、以前ほどの勢いではないという話も耳にする。

もちろん、売れるジャンルに集中するのはビジネスとして正しい。

ヒット作が出れば似た作品が増えるのは、漫画でも映画でもゲームでも昔から変わらない。

稼げるときに稼ぐ。

それも一つの経営判断だ。

ただ、その反面、飽きられるのも早くなる。

なぜ異世界はここまで流行ったのか

「現実逃避だからだ」とよく言われる。

もちろん、それも理由の一つだろう。

しかし、それだけではここまで巨大なジャンルにはならない。

評論や業界の分析を読んでいると、異世界という舞台は作者にとっても読者にとっても都合がいいことが分かる。

主人公は現代日本から来た人間なので、読者と同じ知識しか持っていない。

だから魔法や文化の説明を自然に物語へ組み込める。

しかも現代知識を持ち込めば、「自分だけが知っている知識」で活躍する展開も作りやすい。

さらに、世界そのものがオリジナルだから、現実の歴史や法律、地理や文化を細かく調べる必要もない。

作者は自由に世界を作れる。

読者は難しい前提知識なしで入り込める。

これほど物語を作りやすいジャンルは、実はそう多くない。

だから投稿サイトとの相性も抜群だった。

人気作品が生まれ、それを書籍化し、コミカライズし、アニメ化する。

成功例が成功例を呼び、気が付けば「異世界」という巨大市場ができあがっていた。

自由すぎることの難しさ

ただ、異世界には一つ弱点がある。

自由すぎることだ。

現実世界には物理法則や社会制度という制約がある。

ところが異世界では、「魔法だから」「スキルだから」「神様がそう決めたから」で、大抵のことは説明できてしまう。

つまり、何でもありにできる。

だが、創作というのは不思議なもので、自由だから面白いわけではない。

制約があるから面白い。

チェスが面白いのは駒の動きが決まっているからであり、将棋が面白いのも好き勝手に動けないからだ。

異世界も同じだと思う。

面白い作品ほど、魔法にも能力にも厳密なルールがある。

作者が自分で制約を作り、その中で知恵比べをしている。

だから読者も緊張感を持って読める。

逆に、そのルールが崩れると、「結局何でもできるんでしょ」という空気になってしまう。

『転生したらスライムだった件』も、私にとっては少しその壁に近づいているように感じる。

最初は弱いスライムだからこそ工夫があり、成長が楽しかった。

しかし今では能力がインフレし、「どうせ最後は勝つんだろう」と思ってしまう場面も増えた。

これは異世界ものだけではない。

『ドラゴンボール』のような長期連載のバトル作品でも同じだ。

もっと強い敵。

もっと強い主人公。

さらに強い敵。

これを繰り返せば、最後は能力の数字だけが大きくなっていく。

ブームも案外、それと似ているのかもしれない。

異世界は自由だから流行った。

しかし自由すぎたからこそ、今度は読者が「もう、お腹いっぱい」と言い始めた。

……もっとも、来週また番組表を開いたら、異世界アニメが3本並んでいても、もう驚かない自分がいる気もする。