企画も聞き手も一流。それでも救えない「話がつまらない専門家」の悲劇
どれほど面白そうなテーマでも、開始5分で見るのをやめたくなる動画がある。
先日、よく見ているYouTubeの対談番組で、まさにそんな経験をした。
テーマは「アフリカの部族宗教と魔術師の研究」。
これだけで面白そうではないか。普段なかなか聞けない世界の話だし、企画も素晴らしい。インタビュアーも、いつも鋭い質問でゲストの話を引き出す優秀な人物である。
ところが、始まって5分で動画を閉じてしまった。
原因はゲストの研究者だった。
かなり高齢の先生なのだが、とにかく話がつまらない。ボソボソと一本調子で話し続け、聞いているこちらの集中力がどんどん失われていく。
大学時代に受講した、人生で最も退屈だった講義の教授を思い出した。
あの頃は単位のために我慢していたが、今はYouTubeである。クリック一つで退席できる。
常連の学者は、なぜ話が面白いのか
一方、この番組には何度も登場する常連の学者たちがいる。
彼らの話は実に面白い。
別に芸人のように笑いを取るわけでも、テレビタレントのように大げさなリアクションをするわけでもない。
それでも、ついつい最後まで聞いてしまう。
何が違うのか。
まず、質問に対する答えが的確だ。聞き手が何を知りたいのかを瞬時に理解し、そこに答える。
さらに、話の流れに応じて興味深いエピソードを差し込む。難しい専門用語も、相手の知識に合わせて自然にかみ砕く。
つまり、自分が話したいことではなく、相手が聞きたいことを話している。
これは簡単そうで、実は相当に高度な能力である。
専門知識が深い人ほど、細部まで正確に説明したくなる。しかし、聞き手が求めているのは、必ずしも学術的に完璧な説明ではない。
面白さの核心を理解できる説明なのである。
専門知識と説明能力は別物
世の中には「専門馬鹿」という言葉がある。
特定分野の知識は豊富でも、それを専門外の人間に伝える能力が乏しい人のことだ。
もちろん、研究者の本業は研究である。優れた論文を書くことと、YouTubeで面白く話すことは別の能力だ。
しかし、一般向けの対談番組に出演するなら話は変わる。
これはITエンジニアの世界でもよく見かける。
技術には詳しいのに、説明が壊滅的に下手な人がいる。
質問すると、聞いてもいない技術的背景から延々と説明を始める。こちらが知りたい結論には、いつまでたってもたどり着かない。
本人は正確に説明しているつもりなのだろうが、相手の理解度も関心も見ていない。
知識があることと、知識を使って人を理解させることは、まったく違う能力なのである。
面白い話を、つまらなくする才能
今回の動画で残念だったのは、題材も企画も聞き手も申し分なかったことだ。
それでも、ゲストの話し方一つで全部が台無しになってしまった。
逆に、何度も呼ばれる常連の学者たちは、研究能力に加えて、専門知識を面白く伝える才能まで持っている。
研究者として優秀なだけでは、人気番組の常連にはなれないわけだ。
今回の先生も、何十年もかけてアフリカの宗教を研究してきたのだろう。
その貴重な研究成果を聞くために、わざわざ番組が企画された。
何十年もかけて蓄積した知識を、たった5分の話術で台無しにできる。
これもまた、ある意味では恐るべき才能である。