夏の浜辺で感じた「時代の変化」――かつて見た光景と、いま目の前にある現実
暑さに負けて、また週末の海へ行ってきた。
若い頃は海へ行けば泳いでいたが、今は違う。
波の音を聞きながら浜辺を歩いているだけで十分である。年齢とともに、休日の過ごし方もずいぶん変わったものだ。
相変わらず浜辺は若い人たちで賑わっていた。
海の家からはライブらしき爆音が流れ、いかにも夏という雰囲気である。
そんな中、波打ち際を歩いていると、一組のグループが目に入った。
白人の男性二人と、日本人と思われる若い女性二人。
男性は映画に出てくるようなイケメンではなく、どちらかと言えば肥満体型の中年だった。
もちろん、その四人がどういう関係なのかは分からない。
学校の先生と生徒かもしれないし、仕事仲間かもしれない。
私の考えすぎと言われれば、それまでである。
それでも、その光景を見た瞬間、ふと頭に浮かんだ言葉があった。
「日本は、貧しくなったんだな。」
昔は逆だった
その瞬間、昔よく聞いた話を思い出した。
日本がまだ「金持ちの国」と言われていた頃、東南アジアへ行き、現地の若い女性を連れて歩く日本人男性の話を。
もちろん、すべての人がそうだったわけではない。
しかし、お金の力を背景にした買春や、今で言うパパ活のような話は、決して珍しいものではなかった。
今では日本でも、富裕層向けのパパ活や高級交際サービスの広告をネットで見かけることは珍しくない。
他人がどんな恋愛をしようが、どんなビジネスをしようが、それ自体に口を挟むつもりはない。
ただ、一つだけ考えてしまった。
当時、東南アジアの若者たちは、その光景をどんな気持ちで見ていたのだろう。
自分たちの国の若い女性が、外貨を持った外国人と歩いている姿を見て。
羨ましかったのか。
諦めだったのか。
それとも、言葉にならない悔しさだったのか。
数字ではなく、風景として見えてしまった
ニュースでは毎日のように、
「円安」
「実質賃金」
「購買力の低下」
そんな話が流れている。
グラフや統計で見れば理解はできる。
でも、どこか遠い世界の出来事のようにも感じてしまう。
ところが、海辺で見たあの光景は違った。
私の思い込みだったのかもしれない。
それでも、数字ではなく、一つの風景として目の前に現れたとき、「国が貧しくなる」という言葉が急に現実味を帯びてきた。
国が豊かさを失うというのは、物価が上がるとか、海外旅行へ行きづらくなるとか、そういう話だけではない。
人と人との関わり方や、世界の中での立ち位置まで、少しずつ変わっていくことなのかもしれない。
夏の浜辺は相変わらず賑やかだった。
海の家からは音楽が流れ、若者たちは笑っていた。
その景色は何も変わっていない。
変わったのは、日本なのか、それとも私の見方なのか。
その答えは、まだよく分からない。