海へ向かう途中で見かけた事故と、「世界はなぜ統一できなかったのか」という話
週末はとにかく暑かった。
せっかくなので、気分転換に車で海まで行ってきた。
もうこの歳になると海水浴をすることはない。波打ち際を散歩して、少しだけ足を海につける。それだけで十分である。
潮風を浴びているだけで、夏を感じられる。
ところが、海へ着く前に少し切ない光景を目にした。
高速道路の出口で、1台の車がガードレールに突っ込んでいたのである。
車の横には、東南アジア系と思われる若い男女が5人ほど立ち尽くしていた。幸い、大きな怪我はなさそうだったが、全員が茫然とした表情を浮かべていた。
きっと、「今日はみんなで海へ遊びに行こう」と盛り上がっていたのだろう。
その休日は、高速道路の出口で終わってしまった。
なんとも気の毒だった。
その光景を見ながら、昔の自分を思い出した。
若い頃、アメリカでレンタカーを借りて運転したことがある。
アメリカは右側通行、日本は左側通行。
もちろん頭では理解している。
しかし、人間の習慣というのは本当に恐ろしい。
交差点や駐車場から道路へ出る瞬間、長年身体に染み付いた感覚が勝手にハンドルを切ろうとする。
私も反対車線へ入りかけ、対向車線から大型トラックが迫ってきたことがある。
今でも思い出すと冷や汗が出る。
だから私は、海外から来た人が日本で事故を起こしたからといって責める気にはなれない。
むしろ、自分も同じ失敗をしかけたからこそ、「これは制度として危ない」と思うのである。
ただ、もっと根本的なことを考えてしまった。
そもそも、世界中で「右側通行」と「左側通行」が混在していること自体がおかしい。
最初からどちらかに統一しておけば、こういう事故はもっと少なかったかもしれない。
もちろん、今さら統一などできない。
世界中の道路標識を書き換え、車を作り直し、人々の運転習慣を変える。
そんなコストは誰にも払えない。
この話、実はIT業界では日常茶飯事である。
エンジニアなら誰でも、
「こんな設計、最初からおかしいだろ」
と思うようなシステムに何度も出会う。
では直せばいいのか。
ところが、それができない。
サービス開始から20年、30年と経つうちに、その”おかしな仕様”を前提に何百ものシステムが接続され、何万人ものユーザーが利用するようになる。
すると、一番合理的なのは設計を直すことではなく、「そのまま使い続けること」になってしまう。
技術的には間違っていても、社会全体では正解になる。
これが技術負債というやつである。
インターネットも同じだ。
IPv4アドレスは昔から「足りなくなる」と言われ、後継のIPv6まで作られた。
ところが二十年以上経った今でも、IPv4は現役で使われている。
技術的に優れていることと、世の中に普及することは別問題なのだ。
世界中が今の仕組みで動いている以上、「正しい設計」より「互換性」の方が強い。
高速道路の脇で立ち尽くしていた若者たちを見ながら、そんなことを考えていた。
「右側通行」と「左側通行」という、人類が100年以上前に別々の道を選んでしまったツケは、今でも世界中で払い続けている。
システムも道路も、一番安いのは最初に正しい設計をすることだ。
もっとも、その設計が間違っていたと気付くのは、大抵すべてが完成した後なのである。