「日中関係は最悪」なのか?――パンダがいなくなって、本音だけが残った

パンダがいなくなった動物園の苦境を報じる動画を見た。

日中関係が険悪になった影響でパンダは国に帰ってしまった。

パンダは「日中関係の象徴」として語られてきたが、今は中国側からは日本に対する強い言葉が飛んでくる。日本でも、中国に対して以前ほど遠慮しない言論が目立つようになった。

ニュースだけを見れば、「日中関係は最悪」ということになる。

しかし私は、必ずしも悪いことばかりではないと思っている。

むしろ、長く続いてきた 「日中友好」という建前が剥がれ、お互いがようやく本音で向き合い始めたとも見えるからだ。

「日中友好」は本当に友好だったのか

私が子どもの頃から、「日中友好」という言葉は何度も聞いてきた。

「一衣帯水」という言葉もあったし、パンダはその象徴だった。

日中国交正常化後、日本は中国にODAを提供し、企業も中国へ進出した。中国にとって日本の資金や技術は経済発展に利用価値があり、日本にとっても巨大な中国市場は魅力的だった。

日本側には戦争への反省という歴史的背景もあった。

つまり両国には、仲良くするだけの十分な理由があったのである。

ただ、それを「友情」と呼ぶと少し話が違ってくる。

国家同士なのだから、利害で付き合うこと自体は何もおかしくない。

問題は、利害によって成立していた関係を、あたかも国民同士の友情であるかのように語ってきたことだと思う。

パンダはかわいい。

しかしパンダが何頭いても、尖閣諸島や台湾や歴史認識の問題が消えるわけではない。

会社を辞めたら、ただの隣人になった

昔の日中関係を人間関係に例えるなら、同じ会社に勤める同僚のようなものだったのかもしれない。

多少嫌いでも、

「いつもお世話になっております」

と頭を下げる。

仕事上の付き合いがあるから飲みにも行くし、ゴルフにも行く。

別に親友ではない。

会社という共通の利害があるから付き合っているだけだ。

ところが状況が変わった。

中国は世界有数の経済大国となり、日本からODAを受ける時代は終わった。一方の日本でも世代交代が進み、戦争を直接経験していない世代が社会の中心になった。

会社を定年退職して、利害関係が薄れたようなものである。

すると突然、

「実は昔から、あなたとはあまり気が合わなかったんですよね」

という話になる。

向こうも、

「こっちだって同じだ」

となる。

今の日中関係は、案外そんなものなのかもしれない。

「仲良し」より、文句を言えるほうがいい

表面的な友好が崩れたことを、すべて「関係悪化」と考える必要もない。

人間関係でも同じだ。

お互い不満だらけなのに、

「私たちは大親友です」

と言い続けている関係が健全とは限らない。

それより、

「それは困る」

「そこから先には入ってくるな」

「それはこちらも譲れない」

と普段から言える関係のほうが、相手の境界線が分かる。

外交も結局は交渉である。

相手が何を嫌がるのか。

何なら譲るのか。

どこを越えると本気で反応するのか。

それが分からなければ交渉にならない。

「友好」という言葉ですべてを包んでしまうより、互いの利害と不満が見えているほうが、むしろ関係は分かりやすい。

ただし、喧嘩することが目的ではない

もちろん、日中関係が悪ければ悪いほどいいという話ではない。

日本と中国は地理的に離れることができない。

経済的な関係も大きい。

だからこそ必要なのは、「仲良くしましょう」という抽象的なスローガンではなく、嫌いでも付き合える仕組みなのだと思う。

ここは人間関係でも同じである。

隣人と親友になる必要はない。

ただし、夜中に大音量で音楽を流さない。勝手に敷地へ入らない。何か問題が起きたら話し合う。

それで十分である。

国家間なら、それが外交であり、条約であり、経済交渉であり、安全保障なのだろう。

パンダがいなくても隣国ではある

長く「日中友好」の象徴だったパンダも、日本から姿を消した。

少し象徴的な出来事にも見える。

かわいい動物を見ながら「友好」を唱える時代が終わり、互いに言いたいことを言う時代になった。

それを寂しいと思う人もいるだろう。

私はそれほど悲観していない。

本音を隠して仲良しを演じ続けるより、「ここは協力する」「ここは絶対に譲らない」と線を引いたほうがいい。

国同士なのだから、親友になる必要など最初からない。

まして中国は引っ越してくれないし、日本も引っ越せない。

パンダは返せるが、隣国という関係だけは返却できない。

だったら、無理に仲良しを演じるより、喧嘩せずに付き合う方法を覚えるほうが現実的なのである。