村の盆踊りが消え、街の阿波踊りが踊りだす――都市が作った「新しい祭り」
先週末、高円寺阿波おどりを見に行った。
とんでもない人出で、近くでじっくり見るどころではない。人混みの向こうで踊っているのを少し眺めて帰ってきた。
考えてみれば不思議な祭りである。
阿波踊りの本場は徳島だ。それが東京の高円寺で巨大な祭りになり、さらに今月後半には、私の住む街の隣駅でも開催される。
徳島の踊りが東京へ渡り、さらに東京のあちこちへ増殖している。
なかなか感染力が強い。
なぜ全国で阿波踊りを踊っているのか
似たようなものに「よさこい」がある。
本来は高知の祭りだが、札幌ではYOSAKOIソーラン祭りとして巨大化し、全国各地へ広がった。
阿波踊りもよさこいも、現代の都市と妙に相性がいい。
参加者は「連」やチームを作り、衣装を揃え、何カ月も練習して本番に臨む。
しかも昔ながらの祭りと違い、「この土地の神様を祀る」「先祖を供養する」といった地域固有の理由がなくても開催できる。
徳島でなくても阿波踊りはできるし、高知でなくてもよさこいはできる。
だからコピー可能なのである。
昔の祭りは面倒くさかった
一方、昔ながらの地域の祭りは少しずつ消えている。
盆踊りや神社の祭礼など、地域住民が総出で参加するタイプの祭りである。
ただ、昔の祭りを美化する気にもなれない。
「今年は興味ないので行きません」
では済まない。
準備をする。寄付をする。神輿を担ぐ。終わったら片付ける。
やりたくなくても地域の人間なら参加する。
祭りは人々を結びつけたが、同時にかなり面倒くさいシステムでもあった。
都市は「面倒くさくない共同体」を作った
その点、現代の阿波踊りやよさこいは実に都市的である。
踊りたい人は連やチームに入る。興味がない人は入らない。地縁も血縁も関係ない。
昔の祭りから、「共同体の強制参加」という面倒な部分を取り除き、熱狂だけを再現したものとも言える。
地域社会には縛られたくない。
しかし、大勢で同じことをして盛り上がる一体感は欲しい。
共同体は嫌いだが、共同体感は欲しい。
人間はなかなか都合がいい。
妻はYOSAKOIにまったく興味がない
私の妻の実家は札幌にある。
まさにYOSAKOIソーラン祭りの街だが、妻はまったく興味がない。
参加者がどれだけ熱狂していても、地元住民全員が一緒に熱狂しているわけではない。
興味のない人からすれば、「今年もやってるね」で終わる。場合によっては騒音や交通規制のほうが気になる。
同じ街で、一人は一年間練習して祭りに参加し、別の人は日程すら知らない。
同じ場所に住んでいるだけでは、もう同じ共同体にはならない。
ものすごく管理された熱狂
高円寺阿波おどりも、ものすごい熱気の一方で、かなり厳密に管理されている。
開催は2日間。踊る時間も決まっている。道路を使う以上、交通規制や警備も必要になる。
参加者も連に所属し、決められた場所と時間の中で踊る。
ものすごく自由に見える熱狂が、実はものすごく管理されている。
これも都市らしい。
祭りは消えたのではなく、作り直された
昔ながらの地域社会は弱くなった。
近所付き合いも減り、祭りへの強制参加など今なら嫌がられるだろう。
それでも阿波踊りやよさこいには大量の人が集まる。
人間が祭りを必要としなくなったわけではない。
昔の共同体がなくなったから、祭りだけを人工的に作り直している。
地縁はいらない。血縁もいらない。宗教もいらない。
参加したい人だけ参加する。
興味のない人は、交通規制を避けて別の道を歩く。
今月後半には、私の街の隣駅でもまた阿波踊りが始まる。
踊っている人は猛烈に楽しそうだろう。
興味のない住民は「また道が混んでる」と思うだろう。
昔の祭りは地域住民を強制的に一つにした。現代の祭りは、同じ場所にいながら別々でいられる。
案外、それが今の都市に一番よく似合う祭りなのかもしれない。