ガンダムSEEDを見ていた頃、私はナチュラル派だった

YOUTUBE動画に『機動戦士ガンダムSEED』というアニメの解説が流れてきた。

昔見ていた、懐かしい。

軽く説明すると、未来世界で遺伝子を調整して生まれた「コーディネイター」と、遺伝子操作を受けていない「ナチュラル」の対立が、戦争にまで発展する物語である。

タイトルにガンダムとついているので、例のロボットが派手な戦闘する、むしろそっちがメインの作品である。

遺伝子操作とかはあくまでお話の背景設定でしかない。

当時は「遺伝子を改造した人間なんて、そりゃ反発されるだろう」くらいに思っていた。

ところが、今になって改めて考えてみると、理屈のうえではコーディネイターのほうが正しいそうである。

人類はとっくに自然を裏切っている

そもそも、人間は自然淘汰という仕組みに、かなり昔から逆らっている。

感染症になれば抗生物質を使い、心臓が悪ければ手術をする。生まれつき重い病気を抱えていても、現代医療は全力で救おうとする。

これは素晴らしいことだ。

しかし、生物学的に見れば、本来なら命を落としていた人間を技術によって救っているわけである。

自然淘汰そのものが消えたわけではないが、医療によってその働きが大きく変わったのは間違いない。

それなのに、遺伝子操作の話になると突然「自然のままが一番」と言い出す人がいる。

いや、さっきまで自然に逆らっていたじゃないか。

生まれてから治すのはよくて、生まれる前に治すのはダメ?

例えば、重い遺伝性疾患があるとする。

生まれてから高額な薬や遺伝子治療で治すことには、多くの人が賛成するだろう。

では、将来技術が進歩して、親の遺伝子を操作して原因となる遺伝子変異を止めることができるようになったらどうか。

こちらには途端に倫理的な問題が持ち上がる。

もちろん、現在の技術では安全性や将来世代への影響など、解決すべき問題が多い。

しかし、それは技術的な問題であって、「人間が遺伝子に手を加えること自体が悪い」という話とは別である。

病気になってから治すより、最初から病気にならない方がいい。

少なくとも私には、こちらの方が合理的に思える。

自然淘汰を止めた後はどうするのか

人類は医療によって、自然淘汰の圧力を大きく弱めてきた。

ならば、その結果として生じる問題にも、技術で対応していくべきではないか。

あまり大きな声では言えないが、自然淘汰には弱い遺伝要素を淘汰していく役割がある。

しかし医療によって遺伝的に子孫を残してはいけない人まで子孫を残せるようになった。

これは事実である。喜ばしい事実である。

ならばその後始末もちゃんとしましょうという話である。

遺伝性疾患の原因を修復できるなら修復する。将来世代に同じ苦痛を繰り返させずに済むなら、その技術を研究する。

これは人間を優秀な存在に作り替えるという話とは少し違う。

もっと単純に、自分たちで自然の仕組みに介入した以上、その後始末も自分たちでするべきだという考えである。

そもそも、人類は眼鏡をかけ、人工関節を入れ、臓器を移植し、身体の不具合を次々と技術で補ってきた。

遺伝子だけを神聖不可侵の領域として扱う理由が、私にはよく分からない。

私はコーディネイター派だったらしい

もっとも、ガンダムSEEDの世界では、コーディネイターの能力の高さが差別や対立を生み、戦争にまで発展してしまう。

現実でも、遺伝子編集が一般化すれば、経済格差や能力による差別など、面倒な問題が出てくるだろう。

しかし、それは技術をどう使うかという社会制度の問題でもある。

技術そのものを否定する理由にはならない。

こうして考えると、私はどうやらコーディネイター側の思想に近かったようだ。

もっとも、私があの世界に生まれていたら、遺伝子調整を受けても優秀な人間になっていたかどうかは分からない。

せっかく遺伝子を編集してもらったのに、結局、家でガンダムを見ながら文句を言っているだけの人間になっていた可能性は十分にある。