AIで頭角を現す中国と、「他人のせい」にしがちな日本
中国のAIスタートアップ Moonshot AI の Kimi が高性能だと話題になっている。
ここ最近のAI業界を見ていると、もはや主役はアメリカと中国の二か国と言っていい。新しいモデルが出るたびに名前が挙がるのも、そのほとんどが両国の企業だ。
日本はどうか。
残念ながら、最先端のAIを語る場で名前を聞く機会はほとんどない。
もっとも、私が気になったのはAIそのものではなく、そのニュース記事のコメント欄だった。
一番支持を集めていたコメントは、要約するとこんな話だった。
「昔、アメリカが日本の半導体産業を潰した。本来なら今の中国の位置にいたのは日本だった。」
この手の話は昔から何度も見てきた。
もちろん、アメリカが日本に圧力をかけた歴史はある。日米半導体協定もあったし、日本企業が大きな影響を受けたこと自体は否定しない。
しかし、そこから「だから今の日本の停滞はアメリカのせい」という結論になると、私は首をかしげる。
もし本当に外圧だけで国の技術力が決まるのなら、中国はとっくに終わっていなければおかしい。
現実はその逆である。
アメリカは中国に対して半導体製造装置や高性能GPUの輸出を制限し、AI開発に必要な技術も次々と規制してきた。それでも中国企業は別の方法を探し、自前で開発を進め、新しいAIモデルを次々と発表している。
政治体制については賛否があって当然だし、私にも思うところはある。しかし、技術開発という一点だけを見れば、「邪魔されたから仕方がない」で終わらせなかったことは認めるしかない。
一方、日本はどうだったのだろう。
世界がソフトウェア中心へ移っていく中でも、ハードウェアの成功体験をなかなか捨てられなかった。
国内市場だけで十分利益が出ていた時代が長かったせいか、世界の変化に合わせて産業構造を変えるスピードも速くはなかった。
失敗を避けることには熱心でも、新しいことに挑戦する組織はあまり増えなかった。
こういう話はあまり人気がない。
悪役がいないからである。
誰か一人を犯人にしてしまえば話は簡単だ。
「アメリカが悪かった。」
「円高が悪かった。」
「政治家が悪かった。」
「○○さえなければ日本は世界一だった。」
そのほうが気分はいい。
自分たちの判断ミスや、時代の変化に対応できなかった現実を見なくて済むからだ。
しかし、それでは何も変わらない。
私はIT業界に長くいるが、プロジェクトが炎上するたびに「客が悪い」「前の担当が悪い」「ベンダーが悪い」と言っている現場を何度も見てきた。
もちろん、本当に相手が悪いこともある。
だが、それだけで話を終わらせるチームは、驚くほど同じ失敗を繰り返す。
反省するのは悔しい。
だから他人のせいにしたくなる。
これは人間なら誰でも持っている感情だ。
国家だって例外ではないのかもしれない。
だからこそ、「昔アメリカに邪魔された」という話だけで思考停止してしまうのは危険だと思う。
歴史を学ぶ意味は、「自分たちは悪くなかった」と慰めてもらうためではない。
あの時なぜ負けたのか、同じ状況でも勝つ方法はなかったのかを考えるために歴史はある。
そう考えると、中国のAI企業が次々と存在感を増している今、日本が議論しているべきことは「誰のせいで遅れたのか」ではないはずだ。
「これから何を作るのか」。
本来なら、その話をしていなければならない。
もっとも、日本では新しい技術のニュースが出るたびに、「本当は日本が世界一だった」という昔話のほうが人気らしい。
未来の話より昔話のほうが盛り上がるのなら、日本が失われた三十年から抜け出せないのも、案外当然なのかもしれない。