「日本人は同調圧力が強い」は本当か?――気にしているのは世間ではなく、知り合いの目

「日本人は同調圧力が強い」

よく聞く話である。日本人は集団主義、アメリカ人は個人主義。まるで民族ごとに性格が決まっているかのように語られる。

ところが、心理学の研究では、日本人がアメリカ人より一律に同調しやすいとは限らないことが指摘されている。

では、なぜ日本社会にはこれほど同調圧力があるのだろうか。

どうやら問題は、日本人の性格よりも、人間関係の構造にあるという研究が紹介されていた。

気になるのは「他人の目」ではなく「知り合いの目」

私自身の感覚でも、これは納得できる。

例えば、周囲がまったく知らない人ばかりなら、他人がどう思おうとあまり気にならない。

多少変なことをしても、どうせ二度と会わない人たちである。

ところが、そこに知り合いが一人いるだけで話が変わる。

「あいつ、あんなことをしていたぞ」

そんな噂が広まる可能性を考えると、途端に行動が慎重になる。

つまり、気にしているのは漠然とした「世間の目」ではない。

明日も顔を合わせる人間の目なのである。

会社でも学校でも地域社会でも、同じメンバーと長期間付き合う環境では、周囲から浮くことにコストが発生する。

嫌われれば居心地が悪くなる。場合によっては仕事や生活にまで影響する。

だから周囲に合わせる。

これは民族的な性格というより、かなり合理的な行動ではないだろうか。

北海道と東京では、同じ日本人でも違う

環境の影響を考えるうえで面白いのが、日本国内の地域差である。

例えば北海道は、明治以降に本格的な開拓が進み、本州の古い村落社会とは異なる歴史を持つ。

新しく移り住んできた人々が多い社会では、何代にもわたる血縁や地縁のしがらみが比較的弱い。

こうした歴史的背景が、個人主義的な価値観と関係しているという研究もある。

同じ日本人でも、環境が変われば行動が変わるわけだ。

そもそも、東京のような大都市でも似たことが起きている。

隣に誰が住んでいるかも知らないマンションでは、昔ながらの村社会的な付き合いは成立しにくい。

隣人に嫌われたところで、明日の仕事にはほとんど影響しない。

逆に、人口の少ない地域では、近所の人間関係が生活そのものに直結することもある。

同調圧力の正体は、日本人のDNAではなく、人間関係から逃げられるかどうかなのかもしれない。

日本人は身内に気を遣い、他人には意外と冷たい

もう一つ面白いのが、日本人の二面性である。

同じ職場の人間には必要以上に気を遣う。飲み会を断るだけでも理由を考え、会議では反対意見を言うのをためらう。

ところが、まったく知らない人には驚くほど無関心だったりする。

困っている人を見ても、誰も声をかけない。

身内には過剰なほど気を遣うのに、部外者には距離を置く。

これも、固定された人間関係を重視する社会の特徴として考えると理解しやすい。

大切なのは、その人が困っているかどうかよりも、今後も付き合いが続く相手かどうか。

何とも打算的だが、人間とは案外そんなものなのだろう。

終身雇用が崩れれば、同調圧力も弱くなる?

では、これから日本の同調圧力はどうなるのか。

私は、徐々に弱まっていくのではないかと考えている。

例えば会社である。

終身雇用が当たり前だった時代、上司に嫌われることは長い会社人生にとって大きなリスクだった。

多少理不尽でも我慢する。周囲に合わせる。波風を立てない。

しかし、転職が一般的になれば、その会社の人間関係に一生付き合う必要はない。

嫌なら別の会社へ行けばいい。

学校や地域社会も同様で、以前より所属できるコミュニティの選択肢は増えている。

嫌なら引っ越しする、学校を変えるなどが現実的になっている。

一つの集団から嫌われたら人生が終わる、という時代ではなくなりつつある。

もちろん、SNSなどでは別の形の同調圧力も生まれている。人間関係が自由になれば、あらゆる同調圧力が消えるわけではない。

それでも、固定された集団に従わなければ生きていけないという構造は、少しずつ変わっていくだろう。

同調圧力は国民性ではなく、逃げ道の問題

結局、「日本人は同調圧力が強い」という説明は、少々乱暴なのだと思う。

同じ日本人でも、誰と一緒にいるか、どんな環境に置かれているかで行動は変わる。

知らない人ばかりなら気にならない。知り合いがいれば気になる。今後も付き合わなければならない相手なら、もっと気になる。

私自身もまさにそうである。

つまり、人間関係が固定され、逃げ道が少ないほど、同調圧力は強くなる。

逆に、付き合う相手を自由に選べる社会では、無理に周囲に合わせる必要も減っていく。

日本人が突然、欧米人のような性格に変わる必要などない。

環境が変われば、行動も変わる。

日本人が本当に恐れていたのは「世間の目」ではなく、「明日も会わなければならない上司の目」だったのかもしれない。