日本はここまで落ちたのか──アジア大会で私が一番ショックを受けたこと

いま愛知・名古屋でアジア競技大会が開催されている。

簡単に言えば、アジア版のオリンピックのような巨大スポーツ大会である。

正直、私は大会そのものにはそれほど興味がなかった。

ところが連日のニュースを見ているうちに、競技とは別の意味で目が離せなくなってしまった。

宿泊施設への不満。送迎バスの遅延や手配ミス。バスが来ず、試合前の練習を断念したチームまで出た。

そして極めつけは、韓国代表の試合で北朝鮮の国歌を流してしまったことだ。

韓国と北朝鮮の関係を考えれば、単なる「音源を間違えました」では済まない。

私はニュースを見ながら、

「日本の国際大会運営って、こんなレベルだったか?」

と本気で思った。

ミスよりショックだった運営側の言葉

もちろん、大規模な国際大会でトラブルをゼロにすることなどできない。

問題はその後だった。

韓国選手団などから相次いで批判を受けた大会組織委員会側は、問題があったことを認めながらも、全体としては運営できているという趣旨の説明をしている。

私はここで、かなりめまいがした。

そこなのか。

いま必要なのは「全体としてはうまくいっている」という自己採点なのか。

バスが来ない。宿泊で混乱する。選手の競技準備にまで影響が出る。国歌まで間違える。

一つならミスで済む。

これだけ別々の場所で問題が続けば、普通はシステムそのものを疑う。

それに対して「全体としては機能している」と言われても、外から見れば「そういう問題ではない」としか思えない。

日本の強みは金ではなく、最後は現場だった

日本の経済力が相対的に落ちているという話は、もう何十年も聞いてきた。

中国のような巨大市場もない。アメリカのようなIT企業も少ない。給料も以前ほど高くない。

それでも私は、日本にはまだ強みが残っていると思っていた。

現場が真面目に動く。

時間を守る。

細かいところまで確認する。

問題が起きれば原因を調べ、次に起きないよう改善する。

国際大会をやらせれば、派手ではなくても運営だけはきっちりやる。

そういう部分である。

金がなくなっても、これは残せると思っていた。

しかし今回のニュースを見ていると、その最後の部分まで怪しくなっている。

本当に怖いのは「できなくなったこと」ではない

金がなければ設備は豪華にできない。

人手不足ならサービスも落ちる。

そこまでは理解できる。

私が怖いのは、失敗した後に、

「でも全体としてはうまくやっています」

と言い始めることである。

できなくなったことを認めれば、まだ改善できる。

できていないのに「できている」と自己評価を始めたら、改善する理由そのものがなくなる。

これはスポーツ大会だけの話ではない。

会社でも国家でも、本当に危なくなるのは失敗したときではない。

失敗を失敗と呼ばなくなったときである。

日本は貧しくなったと言われても、まだ「でも日本人は真面目だから」と思っていた。

経済力を失っても、技術力を失っても、最後には現場の誠実さとモラルが残る。

私はどこかで、そう思っていた。

今回の大会を見ていると、その最後の貯金まで使い始めたように見える。

国が衰える最後の段階は、金がなくなることではない。ダメになった自分を認められなくなることなのかもしれない。