「騙された!」と怒る人は、プロレスをどう見ているのだろう
先日、YouTubeの「絶望ライン工」をめぐる話がネットで話題になっていた。
私もこのチャンネルは時々見ていた。
設定は、低収入の工場労働者で独身。冴えない日常を淡々と見せる「絶望系」の動画である。
ところが実際には結婚して子供もおり、収入もそれなりにあることが分かり、「騙された」「全部嘘だったのか」と怒る人が出てきたらしい。
私はこの反応を見て、むしろ驚いた。
あれ、本気で全部事実だと思って見ていたのか。
登録者が何十万人もいるYouTuberである。それだけでも相当な収入があることくらい想像できる。
「低収入で絶望している男」という設定そのものが、すでにコンテンツなのだ。
私は最初から、半分プロレスのようなものだと思って見ていた。
プロレスに「八百長だ!」と怒る人
子供の頃なら、プロレスを本気の戦いだと思って応援してもいい。
しかし大人になれば、試合にはストーリーや演出があることくらい知っている。
だからといって、
「なんだ、演出なのか。金返せ」
とはならない。
悪役にはブーイングし、因縁の相手が出てくれば盛り上がる。
台本があることと、面白いことは別なのである。
映画を見ながら、
「この宇宙船、本当に宇宙を飛んでないぞ!」
と怒る人はいない。
騙されているのではない。騙されるところまで含めて遊んでいる。
しかしYouTubeでは話が変わる
面白いのは、YouTubeになると突然この約束が通用しなくなることだ。
「独身だと思っていたのに!」
「貧乏だと思って応援していたのに!」
「実は成功者だったなんて許せない!」
そこまで怒るのか、と思う。
YouTubeには「これは本当の日常です」という雰囲気がある。
普通の部屋で本人が撮影しているから、画面の向こうを現実そのものだと思いやすい。
だが、撮影して編集し、タイトルとサムネイルを付けて公開した時点で、それはすでに「作品」である。
怒りの正体は「嘘」ではなく嫉妬ではないか
さらに意地悪な見方をすれば、本当に「嘘」に怒っているのだろうか。
私はむしろ、嫉妬の方が大きいのではないかと思っている。
低収入で独身、工場で働きながら絶望している男。
だから親近感を持った。自分と重ねた人もいただろう。
ところが蓋を開けてみれば、結婚して子供もいる。しかもYouTubeでも成功している。
「俺と同じ側の人間だと思っていたのに、お前、勝ち組だったのか」
これなら腹が立つ理由も分かる。
自分より不幸だと思って見ていた男が、実は自分より幸せだった。
「騙された」という言葉は便利だ。
嫉妬と言えば格好が悪いが、「嘘をつかれた」と言えば、自分が被害者になれる。
野暮にならないということ
エンタメには昔から、「分かっているけれど乗っかる」という楽しみ方がある。
プロレスもそう。手品もそう。怪談もそう。
「それ、仕掛けがありますよね」と得意げに指摘することはできる。
だが、全部暴いてしまったら、残るのは正しさだけである。
絶望ライン工を見ながら、
「いや、この人、本当はそんなに絶望してないだろ」
と思いつつ、
「今日も絶望してるなあ」
と楽しむ。
それくらいがちょうどいい。
「俺は騙されなかったぞ」と設定を暴き、怒り、SNSで拡散し、さらに動画にコメントまで書く。
その影響で再生数は増え、話題は広がる。
プロレスを八百長だと叫びながら、誰よりも熱心にリングサイドに居座っている。
興行主にとっては、それも含めてプロレスファンなのかもしれない。