最近、AIの記事を書かなくなった——「AIがすごい」の次に来るもの

最近、YouTubeのホーム画面を見ていて気づいた。

少し前まで「最新AIがすごい」「このAIツールで仕事が変わる」といった動画が大量に並んでいたのに、最近は仏教や禅、瞑想の動画ばかり出てくる。

YouTubeのアルゴリズムは、本人より先に飽きを察知するらしい。

考えてみれば、最近はこのブログでもAIについてほとんど書いていない。

別にAIを使わなくなったわけではない。仕事では毎日のように使っているし、新しいモデルやツールも追っている。

それなのに、ブログには書かなくなった。

たぶん、「AIそのものがすごい」という話に飽きたのだ。

「新しいAIがすごい」は何周したのだろう

新しいモデルが出る。性能が上がる。コーディングが強くなる。エージェント機能が追加される。

するとYouTubeやSNSには、「革命だ」「仕事がなくなる」「使わないと時代遅れだ」という話が大量に出てくる。

数週間すると、また次のモデルで同じことが始まる。

もちろん技術は進歩している。仕事で使っていれば、それも実感する。

しかし利用者として語ることは、かなり出尽くした。

「こんなことまでできる」「以前より賢くなった」「仕事が速くなった」。

もう何度聞いただろう。

AIそのものを研究している人なら話は違う。しかし私はAI研究者ではない。AIを使ってシステムを作る側の人間である。

だから興味の中心も変わってきた。

面白いのはAIではなく、AIを現場に入れた後

今、自分が面白いと思うのは、

「このAIは何ができるか」ではなく、「このAIを現実のプロジェクトに入れたら何が起きたか」

という話である。

実際の開発は、AIのデモ動画ほど美しくない。

既存システムがある。予算がある。納期がある。セキュリティ制約がある。顧客の要望も変わる。データもきれいではない。

AIがコードを書いてくれても、プロジェクトが勝手に完成するわけではない。

むしろ面白いのはその先だ。

AIに仕事を任せたら、どこで失敗したのか。人間はどこをレビューすべきなのか。開発速度が上がった結果、今度は何がボトルネックになったのか。技術的には可能なのに、組織ではなぜ導入できないのか。

そして結局、誰が責任を取るのか。

「最新AIを使ってみた」という話よりずっと泥臭い。

しかし、たぶんこちらが本番なのだ。

「AIを使いました」がニュースでなくなる

新しい技術は、登場した直後なら存在そのものがニュースになる。

インターネットがすごい。スマートフォンがすごい。クラウドがすごい。

しかし普及すれば、それだけでは誰も驚かなくなる。

重要なのは、それを使って何を作ったかである。

AIもそこへ向かっている。

「AIを使いました」が売りになる時代から、AIを使ったことなど説明する必要もない時代へ移り始めている。

そのとき問われるのは、モデル名でもプロンプトでもない。

何を解決したのか。何が失敗したのか。以前と比べて何が変わったのか。

結局、そこになる。

そしてYouTubeには仏教が残った

だから、AIの記事を書かなくなったのも、それほど不思議ではなかった。

AIへの興味を失ったわけではない。

むしろ道具として日常に入りすぎて、AI単体について語ることがなくなってきたのだ。

これからAIについて書くなら、新しいモデルの感想ではなく、実際の仕事で何が起きたのかを書きたい。成功だけでなく、失敗や制約も含めて。

そしてYouTubeを開くと、今日も仏教と瞑想の動画が並んでいる。

最新AIを追いかけ続けた結果、アルゴリズムが私に勧めてきたのが瞑想だった。

AIについて考え続けた結果、最終的に「何も考えるな」にたどり着いた。悪くない結論だと思う。