話がうまい政治家を「信頼できる」と思っていた――政党空中分解で学んだこと
数ヶ月前、与党に対抗するため、複数の政治勢力が集まって新しい政党を結成した。
そのとき、広報役として前面に出ていた政治家がいた。
この人は党の中心で政策や人事を決める立場ではない。それでも個人としてはかなり信頼していた。
テレビやネットで質問を受けても逃げず、複雑な話を分かりやすく説明する。言葉を濁す政治家が珍しくない中で、この人の話には筋が通っているように見えた。
「この政党が成功するかどうかは分からない。でも、この人は信用できそうだ」
そんな印象を持っていた。
そして数ヶ月後、政党は見事に空中分解した。
党が壊れたこと自体で、この人への評価が下がったわけではない。
問題は、その後だった。
本当に説明が必要になったら、言葉が変わった
結成当初は未来を語り、改革を語り、質問にも明快に答えていた。
ところが党が崩壊し、自分たちに都合の悪い問題が出てくると、あれほど分かりやすかった説明が急に分かりにくくなった。
特に問題になったのが、他の議員が離れたあとも一人だけ党に残し、政党交付金を受け取るという選択だった。
理由として説明されたのは、党の結成時に発生した未払い金などの支払いである。
「支払わずに党を畳めば、業者への未払いを踏み倒すことになる。それでいいのか」
という理屈だった。
だが、ここで聞きたいのはそこではない。
なぜ失敗した政党の未払い金を処理するために、税金である政党交付金を使うのか。
踏み倒すか、税金で払うか。なぜその二択になるのか。
その疑問をぶつけられると、それまでとは違って、言葉をすり替えているように見えた。
そこで初めて、この人への信頼が揺らいだ。
党が壊れた責任まで背負わせる気はない
この人は党のトップではない。
政策の違う勢力を集めたのも、分裂を決めたのも、この人一人ではない。本人にもどうしようもなかったことは相当あったはずだ。
だから、**「政党が空中分解した。だからこの人も信用できない」**と言いたいわけではない。
むしろ党が壊れても、この人自身への評価は別にしておこうと思っていた。それだけに、その後の説明を見て失望した。
順調なときに立派なことを言えるかではなく、自分に不都合な状況になったときにも、同じ明快さで説明できるか。
人の信用が試されるのは、そちらなのだ。
「野合」と言っていた評論家たち
結党当時から、多くの評論家が「政策が違いすぎる」「与党に対抗するためだけの野合だ」「長続きしない」と指摘していた。
私はそこまで悲観的に見なくてもいいと思っていた。
結果は彼らのほうが正しかった。
私は前面に立つ人の説明を聞いていた。評論家たちは、その後ろにいる人間たちの政策と利害を見ていた。
政党については、そちらを見るべきだったのだろう。
そして、それとは別に私は一人の政治家についても見誤ったのかもしれない。
話がうまい。質問にも答える。論理的に説明する。それは確かに長所である。
しかし、本当に見るべきなのは、説明するのが難しくなったときにも、その能力を使うかどうかだった。
都合のいいときだけ明快に説明できるなら、それは説明能力ではなく広報能力なのかもしれない。
私はこの人を信用していた。だから今回の件が残念だった。
そして一つだけ勉強になった。
信用とは、話がうまい人に与える評価ではない。話がうまくできない状況でも逃げなかった人に、後から与える評価なのだ。