数学者がAIに反対するなら、物理学者はどうするのか――「途中を飛ばす」ことの怖さ
先日、数学者たちが連名で、数学研究におけるAI利用に懸念を示したというニュースを見た。
問題は、単に「AIが間違える」という話ではない。AIを使えば、これまで長い時間をかけて考えていた計算や証明、ロジックを飛ばして答えに近づける。その結果、若い研究者が「自分で考えてロジックを発見する能力」を身につける機会まで失うのではないか、という懸念だった。
これを読んで、別のことが気になった。
では、物理学者はどう考えるのだろう。
私は大学で物理を専攻し、大学院まで行ったが、研究者にはならなかった。ただ、当時の経験を思い出すと、物理屋はこの問題に少し違う反応をする気がする。
物理屋は使えるものなら使う
物理学でも数学は大量に使う。
しかし、数学では証明そのものが重要になるのに対して、物理では数学は自然を理解するための道具でしかない。
だから、計算機で解けるなら計算機を使う。解析的に解けないなら近似計算する。シミュレーションで分かるならシミュレーションする。
そこにAIが加わっても、それほど不思議ではない。
自然がどうなっているのか。それを知るために使える道具なら使う。かなり現実主義的な世界である。
最後に勝つのは現実である
物理学では、どれほど立派な理論でも最後には現実に殴られる。
数式が美しくても、偉い学者の理論でも、実験や観測と合わなければどこかがおかしい。
アインシュタインの宇宙定数をめぐる話も象徴的だ。一般相対性理論を宇宙全体に適用すると、当時想定されていた静的な宇宙とうまく合わない。そこで宇宙定数というものを方程式に導入したが、その後、宇宙膨張を示す観測が登場した。
結局、アインシュタインは宇宙定数を取り下げた。
物理では理論より現実のほうが強い。
そう考えると、AIが人間には思いつかなかった計算方法や法則を見つけても、「AIが考えたから認めない」とはなりにくい。
予測が実験と一致し、再現できるなら、AIも立派な道具になる。
ただし、「答えが出る」と「理解する」は違う
ところが、ここで数学者たちの懸念が効いてくる。
大学の物理では、延々と計算をやらされる。微分を間違える。境界条件を間違える。計算が合わず、最初からやり直す。
当時は面倒でしかなかった。
しかし、あの過程で、
「この式なら結果はだいたいこの形になる」
「この答えは次元がおかしい」
「この極限で発散するのは変だ」
といった感覚も身についた。
AIなら数秒で答えを出せる。しかし完成した答えだけを見て、同じ感覚が身につくのかは分からない。
これはプログラマーにもそのまま返ってくる
この話は現在の私の仕事にもつながっている。
私は今ではITエンジニアで、毎日のようにAIを使っている。調査、コード生成、テスト、レビュー、設計の壁打ち。もうAIなしの開発環境に戻りたいとは思わない。
だから「若手の教育のために全部手作業に戻そう」と言われても賛成しない。電卓があるのに筆算だけで仕事をする必要はない。
問題は別のところにある。
AIによって不要になった能力と、AIを使うためにむしろ必要になった能力を、まだ私たち自身が区別できていない。
コードを一文字ずつ書く能力は以前ほど重要ではなくなるかもしれない。しかし、AIが出したコードがおかしいと気づく能力まで不要にはならない。
物理も同じだろう。
積分を延々と計算する能力は必要なくなるかもしれない。だが、出てきた答えを見て「そんな物理現象になるはずがない」と言える人間までいなくなったら危ない。
AIが消した「無駄」は、本当に全部無駄だったのか
結局、問題は「AIを使うか、使わないか」ではない。
これまで答えに到達するまでの苦労には、単なる作業と、本当に思考力を育てていた部分が混ざっていた。AIはその両方をまとめて吹き飛ばす。
昔の学生が100時間かけて身につけた能力を、AI時代の学生も100時間かけて身につける必要はない。
しかし、その100時間の中に、将来AIの間違いを見抜くための10時間が混ざっていたとしたら、その10時間まで消してはいけない。
AIは、人間が面倒だと思っていた過程を簡単に消してくれる。
問題は、消してから初めて「あれは無駄ではなかった」と気づく可能性があることだ。