米が倍ならパスタを食うだけ。「食料安全保障」の前に、今日の財布の話をしよう。
今朝もコンビニへ寄った。
おにぎりの棚を眺める。
値札を見る。
そして今日もパンを手に取る。
もう何日続いただろう。
昔なら鮭やツナマヨのおにぎりを何も考えず買っていた。
ところが最近は、おにぎりよりパンのほうが安い。
夕飯も気が付けばパスタやうどんばかりになった。
理由は単純だ。
米が高すぎる。
以前の値段を知っているだけに、倍近い価格を見るとどうしても手が止まる。
「その値段ならパンでいいや。」
そう考える人は、私だけではないだろう。
そんな中、ニュースでは「米価が下がってきたので農家が集会を開いた」という話をやっていた。
農家を支持母体とする政治家の中には、
「政府が買い取って備蓄米に回せ。」
つまり税金を使って米価を高値で維持しようという提案までしているらしい。
しかし首相は、それを断った。
まあ、当然だろう。
生活が苦しいと言われている時代に、
「税金を使って米をもっと高く維持します。」
そんな政策で選挙に勝てるとは思えない。
もちろん、農家の苦労は分かる。
燃料代も肥料代も上がっている。
昔の価格へ戻せと言われても無理なのも理解できる。
しかし、それと消費者の財布は別問題だ。
どれだけ政治家が、
「食料安全保障のために日本の米を食べよう。」
と演説しても、こちらの財布の中身までは増えない。
買えないものは買えない。
ただ、それだけの話である。
米が高ければパンを買う。
パンが高ければパスタを食べる。
消費者は思想でスーパーへ行くわけではない。
値札を見て買い物をしているだけだ。
中には「小麦へ税金をかければいい」などという乱暴な意見まで見かけた。
そこまでやり始めたら、自由市場ではなく配給制度の話になってしまう。
食料安全保障を考えること自体は大事だ。
私も反対ではない。
しかし、その議論をするなら、まずは消費者が普通に米を買える価格であることが前提ではないだろうか。
「高いけど愛国心で買え。」
そんな話では長続きしない。
今日も私は、おにぎりを棚へ戻してパンを買った。
そして、きっと明日も同じことをする。
食料安全保障を語る人は多い。
でも、本当に聞いてみたいのは一つだけだ。
その人は今日、ちゃんと自分のお金で、その高い米を買ったのだろうか。