「勉強しないと将来困る」は本当なのか――大人になって分かった勉強の正体
「勉強しないと将来困るよ」
子どもの頃、親や先生から何度も聞かされた言葉である。
子どもからすれば余計なお世話だろう。数学の公式を覚えることと、自分の将来に何の関係があるのか。英単語を100個覚えたところで、本当に人生が豊かになるのか。
私も昔はそんなものだと思っていた。
しかし大人になって社会を見ていると、この言葉はかなり現実を突いていたのではないかと思うようになった。
問題は学歴そのものではない。
勉強する習慣がないと、人生の途中で選べるカードが減っていくのである。
大学名より「勉強できること」のほうが重要
まず、正直に言うと、大学名自体も有効である。特に優良な大企業や高級官僚になるには有名校に行く必要がある。
ただし、これは一部の上昇志向のある人の話。
一般的なホワイトカラーの人生を送るには、そこそこのレベルの大学で十分だ。
それでも、そのホワイトカラーになるには高卒より大卒のほうが有利である。
求人には「大卒以上」という条件が普通にあり、大学を出ていなければ応募できない仕事もある。
しかし、私は大学の価値を大卒という学歴だけで考えると、本質を見失うと思っている。
例えば弁護士である。
日本では、大学を卒業していなければ絶対に弁護士になれないわけではない。司法試験予備試験というルートがあり、制度上は大学卒業を必須としない道も存在する。
では、中学校を卒業した人が、
「明日から弁護士を目指そう」
と思えば簡単に目指せるのか。
制度上の入口が開いていることと、実際にそこまで歩いていけることは別問題である。
法律を読み、大量の知識を覚え、論理的に文章を書き、長期間勉強を続けなければならない。
ここで効いてくるのが学習習慣である。
子どもの頃から毎日机に向かい、教科書を読み、分からないことを調べ、試験に向けて勉強してきた人にとって、「数年間勉強して資格を取る」という行為は大変ではあっても理解できる。
勉強する習慣そのものがなければ、そこから作らなければならない。
この差は大きい。
社会には意外と「知的なハードル」が多い
しかも勉強が必要なのは、弁護士や医師のような難関資格だけではない。
普通の仕事でも、新しいシステムが導入されればマニュアルを読む。法律や社内ルールが変われば覚え直す。ITなら新しい技術が出るたびに調べる。
仕事が高度になるほど、
「知らないことを自分で調べて理解する」
能力が要求される。
逆にこれが苦手だと、「説明書を読まなくてもできる仕事」「一度覚えれば同じことを繰り返せる仕事」へ選択肢が狭まりやすい。
重要なのは頭の良し悪しではない。
知らないことを勉強するという行為に耐えられるかどうかである。
介護士から看護師を目指した知人
以前、介護の仕事をしている知人と話したことがある。
その人は一生懸命にお金を貯めていた。
何のためか聞いたら、
「看護師になるために学校へ行く」
と言った。
これは非常に分かりやすい例だと思う。
介護士と看護師では、できる仕事が違う。看護師になるには必要な教育を受け、国家試験に合格しなければならない。
さらに医師になれば、またできることが大きく変わる。
資格によって業務が制限されているのは当然である。昨日まで医療を勉強したことがなかった人が、今日から手術を始められては困る。
つまり社会には、
勉強しなければ越えられない壁
が意図的に作られている。
介護士だった知人が看護師になろうと思えば、その壁を越えるしかない。
学費を貯める。
学校へ行く。
授業を受ける。
試験勉強をする。
国家試験に合格する。
ここでも最後に必要になるのは「勉強する力」である。
勉強は人生の進路変更に使える
私はここが一番重要だと思っている。
18歳のときに選んだ仕事を、一生好きでいられる保証などない。
会社が潰れるかもしれない。業界そのものが衰退するかもしれない。AIによって仕事の内容が大きく変わるかもしれない。
そのとき、
「では別のことを勉強しよう」
と思える人は強い。
資格を取る。
新しい技術を覚える。
別の業界について調べる。
必要なら学校へ行き直す。
勉強する習慣がある人にとって、人生は途中からでもある程度作り直せる。
だから勉強の価値は、子どもの頃のテストで100点を取ることでも、有名大学の名前を手に入れることでもない。
人生で行き止まりにぶつかったとき、別の道へ移るための能力を作っておくことなのだと思う。
「勉強しないと将来困るよ」
子どもにこんなことを言っても、おそらく響かない。
私だって子どもの頃に言われても聞かなかっただろう。
しかし大人になってみると意味が分かる。
勉強したから必ず成功するわけではない。
ただ、人生がうまくいかなくなったとき、勉強できる人にはまだ別のカードが残っている。
勉強とは、未来を当てるためのものではない。未来を外したときに、やり直すためのものなのである。