紙幣を破るマジックは犯罪ではない?――「勝手に作ったルール」に人間は意外と縛られている
テレビなどで、ときどき紙幣を使ったマジックを見る。
観客から一万円札を借り、それを目の前でビリビリに破る。当然、貸した本人は慌てる。そして最後には元通りになって、
「おお!」
となる。
定番のマジックである。
私も昔から何度も見てきたのだが、最近ふと疑問に思った。
そもそも紙幣を破るのって犯罪じゃなかったっけ?
そこで調べてみたら、面白いことが分かった。
日本には「貨幣損傷等取締法」という法律があり、貨幣を損傷したり鋳つぶしたりすることを禁止している。
ところが、ここでいう「貨幣」は硬貨である。
紙幣については、同じように破損そのものを処罰する規定はない。つまり、自分の一万円札をビリビリに破ったからといって、それだけで貨幣損傷等取締法違反になるわけではない。
私は「お金を破る=犯罪」というイメージをずっと持っていた。
そして考えてみると、この思い込みそのものが、あのマジックを面白くしている。
「それ、やっていいの?」がマジックを面白くする
マジシャンが普通の紙を破っても何とも思わない。
ところが一万円札を破った瞬間、
「うわっ!」
となる。
一万円という価値を壊したからというだけではない。
どこかに、
「それ、やっていいの?」
という感覚がある。
法律で禁止されている。
お金を粗末にしてはいけない。
紙幣を破るなんて非常識だ。
そうしたものが頭の中で全部混ざって、「絶対にやってはいけない行為」という一つの塊になっている。
マジシャンはそこを利用する。
紙幣を破った瞬間、観客の意識は「本当に破った!」「大丈夫なのか?」に持っていかれる。その間に手元で何をやっているのかは知らない。それが分かったらマジックではない。
面白いのは、その「やってはいけない」が、本当に法律上の禁止とは限らないことである。
法律、規則、慣習、マナーが全部「禁止」になる
これは日常生活でも結構ある。
「それは禁止されています」
と言われたとき、本当に禁止されているのか。
法律なのか。
会社の正式な規則なのか。
業界の慣習なのか。
単に前任者がそうしていただけなのか。
人間の頭の中では、これらが簡単に同じ「禁止」という箱に入る。
会社では特によくある。
「うちではそれはできません」
「なぜですか?」
「昔からそうなっています」
「どの規則に書いてありますか?」
ここまで行くと、急に誰も分からなくなる。
ITの世界でも同じだ。
「このツールは使えない」
「外部サービスとは接続できない」
理由を聞けば、
「セキュリティ上の理由です」
という万能の言葉が返ってくる。
ところが実際に規程を読むと、そんなことはどこにも書いていない。
誰かが昔、安全側に倒して決めた運用が、いつの間にか「絶対に破ってはいけないルール」へ昇格している。
「できない」と言われたら、一度だけ原典を見る
「できない」という言葉も厄介である。
法律上できないのか。
契約上できないのか。
技術的にできないのか。
それとも単に、前例がないだけなのか。
全部を「できない」で済ませると、そこで思考が止まる。
だから結局、一番確実なのは原典を見ることである。
法律なら条文。
契約なら契約書。
サービスなら利用規約。
システムなら公式ドキュメント。
会社なら正式な社内規程。
私はITの仕事をしているので、
「みんなができないと言っていたけれど、公式ドキュメントを読んだら普通にできると書いてあった」
という経験を何度もしてきた。
人間は同じ話を何度も聞くと、それをルールだと思い始める。
そして一度ルールだと思い込むと、誰にも止められていないのに自分からその内側に収まる。
これが意外と強力なのである。
本当に怖いのは、存在しない壁かもしれない
紙幣を破るマジックから、ずいぶん話が広がった。
しかし仕事でも人生でも、似たような「見えない壁」はある。
「この年齢では無理」
「この業界では普通やらない」
「前例がないからできない」
本当の壁なら仕方がない。
しかし、近づいて触ってみると、壁だと思っていたものが単なる線だった、ということもある。
だから私は、「できない」と言われたときには一度だけ確認するようにしている。
「それ、どこに書いてあります?」
嫌な人である。
だが、この質問だけで突然消えるルールが、世の中には結構ある。
紙幣を破るマジシャンは、観客より手先が器用なだけではない。
観客が勝手に作っている「見えない壁」を知っている。
そして、その壁を利用して金を稼いでいる。
もっとも、私はその仕組みに感心しているだけで、一万円札を破って試してみるつもりはない。
法律で禁止されていなくても、財布の持ち主である私が禁止している。