円安で転落する日本のGDPランキング。本当に問題なのは為替なのか?

日本の名目GDPの世界ランキングが下がるというニュースを見た。

かつて世界第2位の経済大国だった日本が、中国とドイツに抜かれ、次はインドとイギリスにも抜かれるそうだ。

直接的な原因の一つは円安だ。名目GDPをドルに換算して比較する以上、円の価値が下がれば、日本経済の規模も小さく見える。

では、円高に戻れば問題は解決するのだろうか。

30年くらい前まで、日本はまったく逆の問題に苦しんでいた。1ドル70〜80円台という超円高と、長引くデフレである。

当時は輸入品も海外旅行も安かった。GDPランキングでもアメリカの次、世界2位だった。

しかし、企業は価格競争に追われ、給料は上がらず、製造業の海外移転や雇用不安が問題になっていた。

今は円安と物価高が苦しい。だからといって、あの円高デフレ時代に戻りたいかと聞かれれば、それも困る。

円安でも困る。円高でも困る。

どうやら問題は、為替レートだけではなさそうだ。

本当の問題は、働く人が減り、支えるコストが増えること

日本が抱える根本的な問題は、人口減少と高齢化である。

働く世代が減っていく一方で、高齢者の医療や介護、年金などの社会保障費は膨らむ。さらに、道路や橋、水道といった老朽化したインフラの維持にもお金がかかる。

つまり、社会を支える人間が減っているのに、社会を維持するための負担は増え続けている。

もちろん、働く人が減ったからといって、必ずしも経済全体の生産力が落ちるわけではない。生産性を上げれば補うことはできる。

しかし、現実には生産性の向上だけですべてを解決できるほど簡単な話でもない。

円安や物価高は目に見えやすい問題だが、その背後には、もっと長期的で厄介な構造問題が横たわっている。

解決策はある。しかし、どれも簡単には選べない

では、働く人が減るという問題をどう解決するのか。

一つは、大規模な移民の受け入れである。

海外から働く人を呼び込めば、労働力不足を補える。しかし、住宅、教育、社会保障、地域社会との共存など、新たな課題も生まれる。

日本社会が本格的な移民国家への転換を受け入れられるかといえば、国民感情として簡単ではないだろう。

もう一つは、女性がこれまで以上に社会の中核を担えるようにすることだ。

女性の就業率はすでに高まっているが、管理職や意思決定層への登用、出産・育児と仕事の両立など、まだ改善の余地はある。

ただし、これには企業の働き方や家庭内の役割分担を大きく変える必要がある。長年の習慣を変えるのは、制度を一つ作るほど簡単ではない。

国会議員の8割がおじさんのこの国では、望み薄というしか無い。

さらに、高齢者の社会保障費を抑制するという選択肢もある。

現役世代の負担を減らすには効果があるが、当然、高齢者の生活に影響する。しかも高齢者は有権者として大きな割合を占めている。

政治家が積極的に手をつけたがらないのも無理はない。

「解決策がない」のではなく、「選びたくない」

AIやロボットによる自動化、生産性の向上にも期待はできる。

しかし、人口減少と高齢化という大きな社会問題は、技術革新のみで消えてなくなるものではない。

そもそもどこまで生産性が上がるかもわからないうえ、AIやロボット自体がアメリカと中国の独壇場である。

生産性は上がったが外国からの請求書も一緒に増える可能性もある。

結局、日本社会にはいくつもの選択肢がある。

どれも一定の効果は期待できる。しかし、どれも負担や痛みを伴う。

そして日本社会は、その痛みをできるだけ避けようとしている。

移民は増やしたくない。従来の働き方も変えたくない。社会保障も削りたくない。税金や保険料が上がるのも嫌だ。

それでいて、物価は安く、給料は高く、経済大国としての地位も維持したい。

気持ちはよく分かる。私だってそうしてほしい。

だが、そんな都合のいい方法があるなら、とっくに誰かが実行しているだろう。

為替の数字を眺めていても、問題は解決しない

円安になれば、輸入物価が上がり、ドル換算のGDPランキングが下がる。

円高になれば、輸入品は安くなるが、輸出企業の採算が悪化する。

どちらにも長所と短所がある。

重要なのは、円安か円高かではなく、どちらの環境でも国民が豊かに暮らせるだけの経済力を持てるかどうかだ。

そのためには、人口減少と高齢化に合わせて社会の仕組みを変えるしかない。

しかし、我々は変化に伴う負担を引き受けたくない。

「解決策がない」のではない。「解決策はあるが、どれも選びたくない」のである。

日本のGDPランキングが何位まで下がるのかは分からない。

ただ一つ確かなのは、順位が下がることには文句を言えても、順位を上げるための負担となると、途端に誰もが黙り込むということだ。