熊本で再び震度7。ニュースを見ながら考えた、日本人の「地震感性」

夕方、熊本で震度7の地震が発生したというニュースが飛び込んできた。

熊本と聞くと、真っ先に思い出すのは10年以上前の熊本地震である。

あの時は熊本城の石垣が大きく崩れ、その映像を見て「日本のお城がここまで壊れるのか」と衝撃を受けた記憶がある。

今回も再び大きな揺れとなった。

現時点では、熊本城が被害を受けたという報告は見当たらないが、被害の全容はこれから明らかになってくるだろう。

ニュースを見ている限りでは、まだ極端なパニックという雰囲気ではない。

もちろん震源地では極限状態だと思う。

しかし、少し離れた地域では、交通機関の乱れや停電などはあっても、多くの人が淡々と状況を確認しながら行動している。

この光景は、日本では見慣れたものだ。

しかし海外の人から見ると、かなり異様に映るらしい。

以前、海外の人が

「日本人はなぜあんなに冷静なんだ」

と驚いている記事を読んだことがある。

確かに考えてみると、日本人の地震に対する感覚は少し特殊なのかもしれない。

震度1や2では、気付かない人も多い。

震度3くらいでようやく、

「あ、地震だ」

と顔を上げる。

震度4になると少し身構える。

家具が揺れ始めれば、

「これは長いかな」

とテレビをつける人も多いだろう。

そして震度7。

ここまで来ると、さすがに話は別だ。

建物が倒壊する可能性もあり、「死」という言葉が現実味を帯びてくる。

もちろん、日本人だから平気という話ではない。

震度7は誰にとっても恐ろしい。

ただ、日本人は長い年月の中で、

「この揺れなら大丈夫。」

「これは危ない。」

という感覚を、経験として身につけてきたように思う。

何度も地震を経験するうちに、「危険なライン」が体に染み付いているのである。

これは勇敢だからでも、鈍感だからでもない。

むしろ、生き延びるために身につけた適応能力なのではないか。

もっとも、この感覚は日本だけのものでもない。

アメリカ西海岸やフィリピンなど、地震の多い地域では、日本人と似たような反応をする人が多いと聞く。

結局のところ、人間は経験する災害に適応していく生き物なのだろう。

だからこそ逆に怖い面もある。

「このくらいなら大丈夫」

という経験則が、いつも正しいとは限らない。

熊本地震でも、大きな揺れのあとにさらに大きな揺れが襲い、多くの人が不意を突かれた。

自然は、人間の経験則どおりには動いてくれない。

被害の全容は、まだこれから明らかになってくる。

熊本城をはじめ、大きな文化財に被害が出ていないこと、そして何より、一人でも多くの方が無事であることを願いたい。

そして東京に住む私も、「ここは震源地じゃないから」と油断せず、改めて防災用品くらいは確認しておこうと思った。