アヘンを売って、取り締まられたら戦争――大英帝国が日本に教えた「近代国家」の正体
先日、明治維新に関する歴史番組を見ていたところ、途中でアヘン戦争の話が出てきた。
1840年、イギリスが清に仕掛けた戦争である。
改めて経緯を聞いていると、なかなかすさまじい。
何しろ、麻薬を売って儲けようとしたら相手国に取り締まられたので、軍艦を送り込んで戦争を始めたという話なのだ。
現代なら、国際的な犯罪組織でもなかなか思いつかない商売のやり方である。
麻薬を取り締まった国が、なぜか戦争で負ける
当時のイギリスは、中国から大量の茶を輸入していた。その代金として銀が流出することを嫌い、インド産のアヘンを中国市場に流し込んだ。
清ではアヘンの蔓延が深刻な社会問題となり、政府は取り締まりを強化する。
ここまでは普通の話だ。
ところがイギリスは、清によるアヘンの没収や貿易制限などを問題にして武力行使に踏み切った。
結果はイギリスの圧勝。清は南京条約を結ばされ、香港島の割譲や港の開放などを受け入れることになった。
麻薬を持ち込まれた側が、取り締まった挙げ句に領土まで失う。
これほど理不尽な話も珍しい。
ネットではイギリスを「ブリカス」と呼ぶことがあるが、この歴史を知ると、なかなか的確なネーミングではないかと思えてくる。
民主主義国家が始めた麻薬戦争
さらに興味深いのは、当時のイギリスが議会政治を持つ近代国家だったことである。
アヘン戦争をめぐっては、イギリス議会でも激しい議論があった。戦争に反対する政治家もいたが、政府の対清政策を批判する動議は僅差で否決された。
つまり、議会が存在し、公開の議論が行われても、こんな戦争を止められなかったのである。
民主主義とは、国民の意思を政治に反映させる仕組みだ。
しかし、その国民や政治家が自国の利益を優先すれば、他国にとってはとんでもない災厄になる。
民主的な手続きを経たからといって、決定まで正義になるわけではない。
考えてみれば当然なのだが、アヘン戦争ほど分かりやすい実例もない。
日本が学んだのは「正義」ではなく「軍事力」
さて、なぜ明治維新の番組でアヘン戦争が取り上げられたのか。
この戦争が日本に大きな衝撃を与えたからである。
当時の日本にとって、清は長い歴史と文明を持つアジアの大国だった。
その清が、遠くからやってきたイギリスにあっさり敗北した。
幕府や知識人たちは、当然こう考えただろう。
「次は日本ではないか」
アヘン戦争の情報は日本にも伝わり、西洋列強への危機感を強める一因となった。やがて黒船来航を経て、開国、幕末の動乱、明治維新へとつながっていく。
もちろん明治維新の原因はアヘン戦争だけではない。
しかし、日本の近代化を後押ししたものの一つが、イギリスによる中国への理不尽な武力行使だったというのは、何とも皮肉な話である。
日本が学んだのは、イギリスの立派な政治理念ではない。
軍事力がなければ、どれほど歴史ある大国でも好き放題にされるという現実だった。
現代のイギリス人はどう考えているのか
ここで気になるのが、現代のイギリス人はアヘン戦争をどう捉えているのかということだ。
大英帝国の歴史には、産業革命や議会政治、科学技術の発展といった輝かしい側面がある。
一方で、植民地支配、奴隷貿易、アヘン戦争といった歴史もある。
大英帝国の栄光を誇りたい気持ちと、その栄光の裏側にある不都合な歴史。両方をどう扱うかは、なかなか難しい問題だろう。
ただ、アヘン戦争については、現代の倫理観を持ち出すまでもない。
当時のイギリス国内にも、この戦争を不当だと批判する人々がいたのである。
つまり「昔は価値観が違ったから仕方ない」という言い訳だけでは片づかない。
当時からおかしいと思っていた人はいた。それでも戦争は行われた。
歴史が教える、もう一つの教訓
歴史を現代の善悪だけで裁いても、得られるものは少ない。
しかし、アヘン戦争には時代を超えて通用する教訓がある。
国家は立派な理念を掲げる。自由、正義、法の支配、文明の進歩。
ところが、自国の利益が絡むと、その理念は驚くほど柔軟に解釈される。
そして軍事力があれば、その解釈を相手国に押しつけることまでできてしまう。
明治維新の志士たちが恐れたのも、まさにその現実だったのだろう。
近代国家の先進国だったイギリスは、日本に近代化の必要性を教えてくれた。
ただし、教え方は少々乱暴だった。
「文明国になりたければ、まず軍艦を持て」。大英帝国は、麻薬と大砲を使ってその授業を行ったのである。