13階のベランダから眺める、我が家の夏

週末は隅田川花火大会だった。

夏になると、「ああ、今年もこの季節か」と思う。

日本人は本当に花火が好きだ。

考えてみれば不思議である。火薬を空へ打ち上げて「きれいだ」と言っているだけなのに、毎年何百万人もの人が集まる。しかも、それを全国で毎週のようにやっている。

海外にも花火はもちろんあるが、日本ほど「夏の風物詩」として生活に溶け込んでいる国は、案外少ないらしい。

隅田川花火大会の始まり

もっとも、隅田川花火大会にはちゃんと理由がある。

始まりは江戸時代。飢饉や疫病で亡くなった人々の慰霊と悪疫退散を願って打ち上げられたのが始まりと言われている。

今では浴衣に屋台、カップルや家族連れのイベントという印象が強いが、もともとはずいぶん切実な願いが込められた行事だったわけだ。

300年近く形を変えながら続いているのだから、日本人は案外こういう文化を大事にしている。

もっとも、東京の花火には東京らしい事情もある。

都会の真ん中では安全上、大きな尺玉をどんどん上げることはできない。

地方の有名な花火大会へ行くと、「こんなの本当に打ち上げて大丈夫なのか」と思うような大玉が夜空いっぱいに広がる。

迫力だけなら、地方のほうが圧倒的だろう。

その代わり、ビル群の向こうに花火が咲く景色は東京ならではで、あれはあれで悪くない。

13階から見える景色

実は、うちのアパートの部屋は13階にある。

以前は部屋から隅田川の花火が少しだけ見えていた。

「少しだけ」といっても十分だった。

テレビをつけながら、本物も見えるという、ちょっと得した気分だったのである。

ところが数年前、ちょうど視界を遮る位置にマンションが建ってしまった。

都市開発というのは景色まで変えてしまう。

さすがに文句を言う筋合いはないが、「そこに建つか……」とは思った。

というわけで、今年はエアコンの効いた部屋でテレビ観賞のみとなった。

しかし、それほど残念でもない。

実は北側の眺望は今でも開けている。

その方向で開催される花火大会なら、ベランダから遠くに見ることができる。

本当に小さい。

「お、上がったな」と分かる程度である。

それでも夜風に当たりながら眺めていると、ちゃんと夏を感じるから不思議だ。

現地で見る花火は修行だった

そういえば、若い頃は現地にも何度か行った。

でも今は、あまり行きたいとは思わない。

花火そのものはきれいなのだが、その前後が修行である。

駅は入場規制、人混みは身動きが取れず、仮設トイレは長蛇の列。特に女性は本当に大変そうだ。

花火が終わったあと、一時間近く人の流れに乗って歩き続けたこともある。

「花火大会」というより「避難訓練」のようだった。

一度だけ、ホテルが庭園を有料開放している観覧席を利用したことがある。

料金はそれなりだったが、座って見られるし、トイレはきれいだ。

そのとき初めて、

「お金というのは、こういうストレスを買わないために使うものなんだな」

と妙に納得した。

少し離れた場所から眺める夏

考えてみれば、花火なんて冬のほうが空気が澄んでいて、もっときれいに見えるはずである。

でも誰も「真冬の全国花火大会」を心待ちにはしない。

花火は夏でなければ駄目なのだ。

浴衣、屋台、セミの声、少し湿った夜風。

全部まとめて「夏の花火」という文化なのだろう。

今年はテレビの画面越しに上がる花火を眺めながらビールを飲んだ。

若い頃なら、「もっと近くで見たい」と思った。

今は逆である。

年を取ると、花火も人生も、少し離れた場所から眺めるくらいがちょうどいいらしい。