トキは復活した。でも、それは本当に「日本のトキ」なのか?
先日、福井県や滋賀県の複数の場所でトキが目撃されたというニュースが流れてきた。
佐渡島で放鳥されたトキが、遠く離れた地域にまで飛んでいったらしい。野生復帰の取り組みが成果を上げているのは喜ばしいことだ。
ただ、このニュースを見て、以前から感じていた違和感を思い出した。
日本のトキは、2003年に最後の日本産トキ「キン」が死んだことで、その系統が途絶えた。現在、日本の空を飛んでいるトキは、中国から提供された個体を祖先とするものだ。
中国のトキも日本のトキも同じ種で、遺伝的にも非常に近い。だから日本のトキが復活したという説明になる。
科学的には理解できる。しかし、遺伝的に同じなら、失われたものが戻ってきたと言えるのだろうか。
遺伝子が同じなら、元通りなのか?
例えば、極端な話をしてみよう。
ある国の人々が全員いなくなったとする。その後、遺伝的に近い別の国の人々が移住してきた。
そこで誰かが「遺伝的にはほとんど同じだから、この国の人々は復活しました」と発表したら、どうだろう。
いや、ちょっと待て、と言いたくなる。
そこに住んでいた人々が積み重ねてきた歴史や文化は、いったいどこへ行ったのか。
人間と鳥では事情が違うが、遺伝的な同一性だけでは説明できない価値があるという点は共通している。
かつて日本の農村を飛んでいたトキは、日本の環境の中で何世代にもわたって生きてきた。そして乱獲や環境の変化によって数を減らし、ついには姿を消した。
現在のトキが同じ種だからといって、その歴史まで復活したわけではない。
身近な例で言えば、何百年も続いた老舗が廃業し、外国の会社が同じ場所で同じ商品を作り始めたようなものだ。
味も見た目も同じかもしれない。しかし、それを「老舗の完全復活」と呼ぶには抵抗がある。
「復活」という便利な言葉
中国由来のトキを人工繁殖させ、再び日本の自然に戻す取り組みは、大きな成果である。
ただ、「トキが復活した」という言葉は少々便利すぎる。
生物学的には同じ種が戻ってきた。しかし、日本で生き続けてきた個体群は途絶えている。
この違いは、単なる言葉遊びではない。
もし「同じ種を海外から連れてくれば元通り」と考えるなら、地域の自然を守る意味まで変わってしまう。
外国のトキでも日本の空を飛ぶ姿は美しい。これから新しい歴史を積み重ねていけばいい。
ただ、かつての日本のトキが絶滅した事実まで、美しい復活劇の中に埋もれさせる必要はない。
「絶滅しても海外から連れてくれば復活できる」という話になったら、次に絶滅する生き物にとっては、ずいぶん迷惑な成功事例になる。