熊本地震の続報を見て思った。「十数人なら少ない」と感じてしまう自分が少し怖かった

昨日の熊本の大地震から一夜明け、朝から続報が次々と入ってきた。

震度7という強烈な数字だけに、正直なところ私は数百人規模の死傷者が出ることも覚悟していた。

しかし、現時点で報じられている死者は13人。

もちろん、13人もの命が失われたことを「少ない」と言うつもりはない。亡くなられた方やご家族のことを思えば、そんな言葉は軽々しく使えない。

それでも、「思っていたより被害は小さかった」と感じてしまった。


地震の影響で大型ショッピングモールで爆発が起きたというニュースにも驚いた。

ガス漏れが原因だったようだが、利用客は事前に避難を終えており、亡くなられたのは従業員の方が数名だったという。

爆発の映像を見た瞬間、「これは大惨事になったのでは」と身構えた。

だから続報を聞いて、「不幸中の幸いだった」と感じた。

もちろん、それでも亡くなった方がいる以上、決して軽い事故ではない。


ニュースを見ながら、少し気になったことがある。

私はいつから、「震度7なら死者は数百人」「十数人なら被害は比較的小さい」と考えるようになったのだろう。

普通に考えれば、13人亡くなる事故は十分に大きな事故である。

それなのに、「十数人で済んだ」という感覚が頭をよぎる。


心理学では、人は絶対的な数字ではなく、比較対象で物事を判断することが知られている。

これを「アンカリング」や「参照点への依存」と説明する研究もある。

私の頭の中では、「震度7なら数百人、あるいは千人単位の被害」という予想が基準になってしまっていた。

だから13人という数字を見て、「思ったより少なかった」と感じたのだろう。

もし交通事故で13人亡くなったと聞けば、とんでもない大事故だと感じるはずだ。

数字は同じでも、基準が違えば印象はまるで変わってしまう。


日本人は世界でも珍しいほど地震に慣れた国民だと言われる。

阪神・淡路大震災、東日本大震災、熊本地震、能登半島地震……。

何度も大地震を経験してきたことで、「震度7」という言葉に対する基準そのものが変わってしまったのかもしれない。

これは冷静さにつながる面もある。

一方で、人の命を相対評価する感覚でもある。

良い適応なのか、それとも悪い麻痺なのか。

正直、私にはまだ分からない。

ただ一つ思うのは、人間の感覚というのは案外あてにならない、ということだ。

昨日のニュースで一番驚いたのは地震そのものではなく、「十数人なら少ない」と一瞬感じてしまった、自分自身だった。