40年住んでも届かない言葉の壁——海外移住と「現地の言葉」を覚える本当の意味
先日、特定の場所にカメラを置いて、そこを訪れる人たちに話を聞いていくドキュメンタリー番組を見た。
舞台は東京郊外の河川敷だった。近くには工場が多く、東南アジアをはじめ外国出身の住民も多い地域だ。
そこで登場した一人の男性が妙に印象に残った。
70代のイギリス人男性で、日本に来て40年以上になる。日本人女性と結婚し、長年英会話教室を営んでいたが、コロナ禍で教室は廃業。その後、奥さんにも先立たれ、今では毎日のように川辺へ来て時間を過ごしているという。
40年以上日本に住んでいるのだから、当然日本語も流暢なのだろうと思った。
ところが、そうではなかった。
番組を見る限り、日本語はごく簡単な日常会話程度だった。川辺には顔見知りの日本人高齢者もいて、挨拶を交わしたり、ちょっとした会話をしたりはする。しかし、そこから先へ入っていくのが難しい。
40年以上暮らした国なのに、最後に残った壁が「言葉」だった。
40年間、困らなかったからこそ難しい
なぜ40年以上も日本にいて、日本語をそれほど覚えなかったのか。
考えてみれば、それほど不思議でもない。
奥さんは日本人。そして仕事は英会話教師である。
英語を話すこと自体が仕事になる。むしろ周囲の日本人のほうが英語を話したがる。家庭では妻が日本社会との橋渡しをしてくれる。
この環境なら、日本語がそれほど上手でなくても生活は成立する。
買い物ができる。電車にも乗れる。簡単な手続きなら何とかなる。分からないことがあれば妻に聞けばいい。仕事では英語を話すことに価値がある。
そうやって一年、二年と過ぎていけば、わざわざ大変な思いをして日本語を勉強する動機も薄くなる。
そして気づけば40年である。
問題は、その生活を支えていた条件が永遠には続かないことだ。
仕事がなくなった。
妻も亡くなった。
すると、それまで見えなかった言葉の壁が一気に姿を現す。
海外移住で本当に怖いのは老後なのかもしれない
若いうちは、外国で言葉が十分に話せなくても何とかなる。
仕事仲間がいる。配偶者がいる。同じ国の出身者がいる。困ったら英語が通じる場所へ行けばいい。体力もあるから、多少の不便なら自分で動いて解決できる。
しかし、老後になると条件が変わる。
仕事という社会との接点がなくなる。配偶者が先に亡くなることもある。昔の友人とも疎遠になる。そして、自分自身も簡単には動けなくなる。
では母国へ帰ればいいのか。
40年以上も外国で暮らしていれば、それも簡単な話ではない。母国に家があるとは限らない。親はすでに亡くなっているだろうし、友人関係も昔のままではない。生活基盤そのものが移住先に移っている。
この男性の場合、現在の円安とイギリスの物価を考えれば、経済的にも帰国して一から生活を作るのはかなり厳しいだろう。
日本に残るしかない。
しかし、その日本でも深い会話ができない。
これはなかなか厳しい。
現地語は「生活の便利ツール」ではない
海外移住について語られるとき、現地語を覚えるメリットとしてよく挙げられるのは、買い物が便利になる、役所の手続きができる、病院で困らない、といった話だ。
もちろん、それも重要だ。
しかし今回の番組を見ていて、それ以上に重要なのは、現地語は社会と自分を直接つなぐ回線なのだと思った。
配偶者を経由しなくても話せる。
会社を経由しなくても人と知り合える。
外国人コミュニティを経由しなくても地域に入っていける。
これは長期的に見るとかなり大きい。
特定の一人や一つのコミュニティに、自分と社会との接続を全部依存している状態は脆い。その人がいなくなった瞬間、その回線まで切れてしまうからだ。
現地語を話せるということは、自分専用の回線を一本持っているようなものなのだろう。
そういえば、フィリピンに渡った日本人YOUTUBERの動画をよく見るが、英語だけでなく現地のタガログ語やビサヤ語も覚えようとしてるシーンがあった。
これも同じ理由なんだろう。
「こんにちは」の先に行けるか
川辺で日本人の高齢者と挨拶をする男性の姿を見ながら、言葉には明確に次の段階があるのだと思った。
旅行なら「こんにちは」「ありがとう」で十分である。
生活するなら、買い物や役所の手続きができる程度は欲しい。
しかし、その土地で老後まで生きるなら、それだけでは足りない。
「最近どうですか」の先へ行かなければならない。
昔どんな仕事をしていたのか。妻との思い出。最近困っていること。身体の不調。ニュースを見て何を思ったのか。若い頃は何をしていたのか。
人間関係は、そういうどうでもいい話と、ときどき出てくる深い話の積み重ねでできている。
挨拶ができることと、その社会の中に人間関係を持てることは、かなり違う。
英語圏の人ほど陥りやすい罠
英語圏出身者には、この問題が少し特殊な形で現れる。
英語が強すぎるのだ。
世界中に英語を話せる人がいる。日本でも都市部なら英語だけで何とか生活できる場面は多い。そして何より、英語を教えるという仕事まで成立する。
日本人がイギリスに移住して「私は日本語しか話せません」と言えば、かなり早い段階で生活に行き詰まる。
ところが英語話者なら、それなりに生きていけてしまう。
これは便利であると同時に罠でもある。
困らないから覚えない。
覚えなくても生活できるから、さらに覚えない。
その状態が何十年も続くことさえある。
そして本当に言葉が必要になった頃には70代になっている。
海外移住で持っていくべきもの
海外移住というと、ビザ、仕事、収入、住居、医療保険、治安などがまず話題になる。
当然どれも重要だ。
しかし長く住むつもりなら、現地語も同じくらい重要な生活基盤なのだと思う。
ペラペラである必要はない。ネイティブのような発音も必要ない。
ただ、近所の人と雑談し、自分の考えを説明し、困ったときには助けを求め、誰かの愚痴を聞き、自分の昔話をできる程度の言葉は持っていたほうがいい。
若いうちは、その重要性が見えにくい。
仕事があるからだ。家族がいるからだ。体力もある。
だからこそ、今回の70代の男性が妙に心に残った。
海外で暮らすために現地語を覚えるのは、注文をしたり役所の書類を書いたりするためだけではない。
いつか仕事がなくなっても、配偶者がいなくなっても、それでもその土地で一人の人間として社会とつながっていくために覚えるのだ。
40年間困らなかったことが、41年目にも困らない保証にはならない。
言葉は、異国で最後まで自分の足で立つための保険なのかもしれない。