「〜ンゴ」を見た瞬間、私の同情心は消えた
先日、ネットニュースで、若くしてがんで亡くなった人の記事を読んだ。
闘病の様子をネットで発信していた人らしく、病状が悪化していく過程も記録として残っていた。
若くして病気で亡くなる。これは普通に悲しい。
私も「気の毒だな」「まだ若いのにな」と思いながら読んでいた。
ところが、最後の言葉を見た瞬間、すべてが変わった。
「これで終わりだンゴ」
……ンゴ?
その瞬間、さっきまであった同情心がものすごい勢いで消えていった。
「なんだ、J民か」
J民とは、日本の巨大匿名掲示板の中でも、特に独特な悪ノリで知られる「なんJ」と呼ばれるコミュニティの住人を指すネット用語である。 ンゴは彼らが語尾につける独特のスラングだ。
そして次に出てきた感情が、
「J民ならどうでもいいわ」
だった。
我ながらひどい。
数秒前まで若者の死を悼んでいた人間が、語尾に「ンゴ」が付いただけでこの変わりようである。
「ンゴ」には余計な情報が詰まりすぎている
「〜ンゴ」は、もともと「なんJ」系のネット文化から広がった言葉だ。
私自身、そこに書き込むことはないが、ネットを長く見ているので、あの世界の空気は知っている。
煽る。罵倒する。他人の失敗を笑う。どうでもいいことで喧嘩する。
もちろん「ンゴ」を使ったからといって、その人が毎日そんなことをしていた証拠にはならない。
しかし私の脳内では、
「ンゴ」→「なんJ」→「匿名掲示板の住人」→「普段、人を煽ってそう」
という超高速変換が行われた。
本人の性格も知らない。善人だったのか悪人だったのかも知らない。
それなのに、たった二文字で人物像が完成した。
人間の脳は便利である。
便利すぎて困る。
人間は「人間」ではなく「属性」を見ている
考えてみれば、これはネットだけの話でもない。
人間は相手について何も知らないときには、一人の人間として見る。
ところが何かの属性が分かった瞬間、見え方が変わる。
出身地、職業、学歴、宗教、支持政党。
そして「ンゴ」。
ラベルが一枚貼られただけなのに、その人の人格まで分かったような気分になる。
今回、私はそれを見事に実演してしまった。
記事の途中まで、その人は「若くしてがんで亡くなった人」だった。
ところが、
「これで終わりだンゴ」
の一文で「なんJの人」になった。
病気も年齢も人生も全部吹っ飛び、最後に残ったのが「ンゴ」だった。
たぶん本人には、そんな意味はなかった
本人は最後まで重苦しくしたくなかっただけなのかもしれない。
「私はもうすぐ死にます。皆さんありがとうございました」
なんて書くより、
「これで終わりだンゴ」
と書いて終わる。
最後まで普段のネットのノリを崩さなかった、と考えれば、それはそれで格好いい。
問題は私の方である。
私は「ンゴ」という二文字から勝手に大量の情報を補完し、勝手に人物像を作り、勝手に同情するのをやめた。
AIならハルシネーションと怒られるところだが、人間がやると「印象」で済まされる。
人間を属性で判断するな。
レッテルを貼るな。
一人の人間として見ろ。
言っていることは全部正しい。
私だって、普段ならそう言う。
しかし今回、私の同情心は「ンゴ」の二文字で消えた。
どうやら私の人類愛には、たった二文字で発動する停止機能があったらしい。