「天然」の破壊力と、文化の本源——電車で見かけたゴスロリ少女

最初に言っておく。

今日のブログは、本当に中身のない話である。

先日、電車に乗っていたときのことだ。

途中の駅から、北欧かロシア系と思われる少女が一人乗り込んできた。

かなり目立つ格好をしていた。

いわゆるゴスロリ系というのだろうか。黒を基調とした、本格的なファンタジー世界から抜け出してきたようなドレスである。

日本でもこうした格好をしている人をたまに見かける。

そして日本人がこの種のファッションをするとき、髪まで含めて世界観を作り込むため、ウィッグを使うことも多い。

それはそれで完成された美しさがある。

ところが、目の前の少女は違った。

地毛なのである。

当たり前なのだが、これが強い。

透き通るような肌。明るい髪。そして西洋人特有の骨格。

そこにドレスが妙に自然に収まっている。

ゲームやアニメで見たキャラクターが、そのまま電車に乗ってきたような感じだった。

思わず、

「天然モノは強いな……」

と思ってしまった。

こちらがウィッグやメイクや衣装を駆使して作り上げる世界観を、素材だけでかなりのところまで持っていってしまう。

身も蓋もないが、ファッションにはそういう残酷なところがある。

でも、なぜ日本の電車にいるのか

しばらく眺めていて、別のことに気づいた。

そもそも彼女は、なぜ日本でその格好をしているのだろう。

遠く離れた国から日本へ来て、ゴスロリ風の衣装を着て、普通に電車に乗っている。

行き先はわかっている。ターミナルの街にはオタクやコスプレ女子に人気のエリアがある。

考えてみれば面白い。

ゴシックやロココ的な意匠そのものはヨーロッパ由来だ。

しかし、それらを独特に組み合わせ、「ゴスロリ」という一つのファッション文化に仕立て上げたのは日本である。

西洋から持ってきた材料を、日本人が勝手に混ぜ、魔改造し、別のものにしてしまった。

そして今度は、その文化に惹かれた西洋の少女が日本へやって来て、その服を着ている。

ずいぶん遠回りな文化の里帰りである。

素材では負けても、文化では勝っている

最初に彼女を見たとき、私は単純に、

「やっぱり本場の素材は強い」

と思った。

だが、よく考えると話はそこで終わらない。

その「本場の素材」を持った人が、わざわざ日本で、日本が作り上げたスタイルを楽しんでいるのである。

これはなかなか面白い構図だ。

日本人が西洋文化に憧れて作ったものが、いつの間にか独自の文化になり、今度は西洋人を日本へ引き寄せている。

素材の勝負なら、確かに分が悪い。

だが文化というのは、素材の美しさを競うゲームではない。

「自分もこれをやってみたい」と他人に思わせた時点で、かなり勝っている。

電車で外国人の少女を一人見かけただけで、ずいぶん大げさなところまで話を広げてしまった。

最初に言った通り、今日のブログには大した中身はない。

ただ一つ分かったことがある。

天然モノは確かに強い。

だが、その天然モノにコスプレさせた文化の方も、なかなか強いのである。