観光地は大変だ――京都のお寺の「建前」と、タクシー運転手の本音

ニュースを見ていたら、京都のお寺が「着物での参拝お断り」としている話が出ていた。

それを見て、以前京都を訪れたときのことを思い出した。

ニュースになっている寺とは別の場所だが、そこも着物姿の観光客、特に着物を着た外国人観光客の拝観にかなり厳しいことで知られていた。

実際に行ってみると、着物姿の外国人が入口で断られていた。

普通にジーンズや短パンの外国人は入れるのに、ちょっと可愛そうだと思ったが、まあ、お寺は他にもたくさんある。

お寺が嫌なのは着物なのか、観光客なのか

寺社にとって深刻なのは、一部の観光客によるマナー違反である。

庭に入る、建物を傷つける、撮影禁止の場所で撮影する。最近ではSNSやYouTubeのために、普通ならやらないことをわざわざやる人間までいる。

寺はテーマパークではない。

何百年も維持してきた建物や庭があり、宗教施設でもある。そこで「映える写真を撮りたいから」という理由で好き勝手に動かれたら、管理する側が怒るのも当然だろう。

しかし入口で、一人ひとりの人間性を審査するわけにはいかない。

「あなたはマナーが良さそうなのでOK」

「あなたはTikTokで暴れそうなのでダメ」

そんな審査はできない。

だから分かりやすいルールを作って、入口を狭めることになる。

迷惑YouTuberの多くは着物を着てくる。ならば着物を禁止にしてしまえということである。

京都らしい「ルールの運用」

面白いのは、こうしたルールが必ずしも機械的に運用されるとは限らないことだ。

受付けのおばちゃんが言うには、日本人なら混雑していない時間帯なら入れてもらえるらしい。ただし、目立たないようにしてほしいと言うそうだ。

ならば日本語が流暢で寺社での振る舞いを理解している外国人ならどうなのか、とも思う。

結局、最後は受付のおばちゃんが「この人なら大丈夫」と判断するのかもしれない。

看板にはルールがある。しかし運用には人間がいる。

なんとも日本的である。

パリの人が愛想を失うのも分からなくはない

以前YouTubeで、観光客が「パリの人は愛想が悪い」と文句を言っている動画を見たことがある。

一方、パリ市民側の言い分を見ると、

「毎日世界中から観光客が押し寄せてきて、マナーを守らず街を荒らされる身にもなってくれ」

という話になる。

考えてみれば当然である。

観光客にとって京都もパリも非日常だ。

しかし、そこに住んでいる人間にとっては日常である。

観光客は三日で帰る。

住民は次の日もそこにいる。

この差は大きい。

「わしはこの祭りが大嫌いなんよ」

そういえば、昔、祇園祭の時期に京都へ行ったことがある。

ものすごい人だった。

タクシーに乗ったのだが、道路も大混雑でほとんど進まない。

すると運転手が、渋滞する道路を見ながら突然、

「街がゴミゴミして、わしはこの祭りが嫌いなんよ」

と吐き捨てた。

祇園祭である。

日本を代表する祭りの一つであり、世界中から観光客がやってくる京都の一大イベントである。

その京都で観光客を乗せて走っているタクシー運転手が、

「嫌い」

と言う。

心の中では、

「いやいや、あなた、その観光客のおかげで今日は客が山ほどいるのでは……」

と思った。

しかし運転手の機嫌があまりよろしくなかったので、

「そうですねぇ」

とだけ答えておいた。

今になって考えると、あれこそ観光地に住む人間の本音だったのかもしれない。

観光客が来れば金になる。

ホテルも飲食店もタクシーも儲かる。

しかし道路は混む。ゴミは増える。騒がしくなる。文化財は傷む。そして自分たちの日常生活まで観光地化していく。

「観光客には来てほしい。でも、できれば静かにしていてほしい」

なかなか無茶な要求である。

だが、お寺の入口で起きていることも、パリ市民の不機嫌も、祇園祭を嫌う京都のタクシー運転手も、根っこは同じなのだろう。

観光地は、観光客がいなければ困る。

そして観光客が多すぎても困る。

あの運転手は、観光政策について難しいことを語っていたわけではない。

「わしはこの祭りが嫌いなんよ」

たぶん観光公害について、これほど簡潔な説明もない。