ブッダは本当に平和主義者だったのか?——2500年前の聖人に現代人が押し付けた理想
先日、『ブッダという男』という本がベストセラーになっているという記事を見かけた。
書評や紹介記事を読んでみると、なかなか面白い。テーマは、歴史上のブッダは本当に私たちが想像するような人物だったのか、というものだ。
仏教には、後世になって成立した大乗仏教と、比較的古い教えを伝える上座部仏教がある。
日本でおなじみの大乗仏教の経典には、ブッダが超人的な能力を発揮する場面も登場する。空間を自在に移動したり、過去や未来を見通したり。もはや宗教家というより、SF映画の登場人物である。
こうした神格化を取り除き、歴史上の人間としてのブッダを探ろうという研究は以前からあった。
ところが今回、興味を引かれたのは、その先の話である。
超能力者としてのブッダだけでなく、現代人が好む「平和と平等の聖人」というイメージまで、後世の創作ではないかというのだ。
ブッダは現代の人権活動家だったのか?
ブッダについては、平和主義者だった、男女平等を説いた、カースト制度を否定した、といった説明をよく見かける。
しかし、古い仏典を調べても、そこまで明確に言い切れるわけではないらしい。
例えば、ブッダは生まれによって人間の精神的価値が決まるという考えを批判した。しかし、だからといって、現代的な意味での階級制度撤廃運動を展開していたわけではない。
女性の出家も認めたが、教団内には男女で異なる規律が存在した。
そもそも2500年前のインドに、現代の男女平等や民主主義の価値観をそのまま持ち込むこと自体、かなり無理がある。
それなのに、私たちは歴史上の偉人を語るとき、なぜか現在の道徳基準で満点を取らせたがる。
平和を愛し、差別を許さず、男女平等を唱え、弱者に寄り添う。
ここまで来ると、古代インドの宗教家というより、現代の模範的な人権活動家である。
聖人の顔まで現地仕様になる
こうした理想化は、ブッダに限った話ではない。
イエス・キリストも、欧米の宗教画では白い肌に長い髪、時には青い目をしたヨーロッパ人風の姿で描かれる。
しかし、歴史上のイエスは古代パレスチナに生きたユダヤ人である。普通に考えれば、現在の中東の人々に近い、黒髪で褐色の肌をした顔立ちだったはずだ。少なくとも、宗教画に登場するようなヨーロッパ人風の姿ではなかっただろう。
ブッダも同様だ。
古代インドの人物なのに、日本の仏像や絵画では、どことなく東アジア人風の顔になっている。
教えが国境を越えるたびに、顔まで現地仕様に変更される。
宗教の世界では、ローカライズが実に徹底している。
そして変更されるのは外見だけではない。思想や人格まで、その時代の人々が求める理想に近づいていく。
本当のブッダは、案外普通の人間だったのかもしれない
歴史上のブッダが実際に何を語り、何を考えていたのか。古い仏典にも成立までの時間差があり、本人の言葉をそのまま記録したものではない。
だから、後世の脚色を取り除けば本当のブッダが現れる、というほど簡単な話でもない。
ただ、一つ面白いのは、ブッダ像の変化を調べると、ブッダ本人よりも、後世の人間が何を理想としていたかが見えてくるということだ。
超能力が尊ばれる時代には超能力者になり、平和や平等が尊ばれる時代には平和主義者になる。
本人が何も言わなくても、2500年にわたってプロフィールが更新され続けるのである。
もしタイムマシンで本物のブッダに会えたら、ぜひ現代の仏教解説書を一冊渡してみたい。
「私は、こんな立派なことまで言った覚えはないのだが」と困惑するかもしれない。
もっとも、その発言さえ後世には「ブッダが示した究極の謙虚さ」として経典に追加されそうである。