「左派終了」の先に何があるのか――日本に必要なのは、もう一つの自民党なのかもしれない
中道改革連合という、数ヶ月前に出来立ての穏健左派勢力が解体したニュースが流れてきた。
最近の政局を見ていると、日本の野党というのは本当にまとまるのが苦手だなと思う。
選挙が近づけば「野党結集」が始まり、「今度こそ政権交代可能な勢力を」と新党や新構想が出てくる。
ところが、しばらくすると揉め始める。
安全保障が違う。原発政策が違う。憲法観が違う。誰と組むかで揉め、組んだら組んだで「そんな相手と組めるか」と揉める。
そして分裂する。
長く見ていると、もはや政治ニュースというより季節行事に近い。
「正しい人」ばかりでは政党は作れない
理念を重視する勢力ほど、妥協が難しい。
特に憲法、安全保障、原発、人権といった価値観の問題では、妥協した瞬間に「理念を捨てた」と批判される。
すると「ここだけは譲れない」という人たちが集まる。
全員が「ここだけは譲れない」と言えば、当然まとまらない。
会社の会議でも、全員が絶対条件を持ってきたら何も決まらない。政治だからといって、この法則から逃れることはできない。
政党は思想研究会ではない。選挙に勝ち、予算を作り、法律を通し、行政を動かす組織である。
100点の理念を掲げて万年野党でいるのか、70点で妥協して政権を取るのか。
この違いは大きい。
自民党の守備範囲が広すぎる
そして野党にとって厄介なのが、与党である自民党である。
自民党を単純な「右派政党」と考えると、日本政治は分かりにくい。
安全保障や憲法では保守的な一方、社会保障を拡充し、地方へ補助金を配り、農業を保護する。党内にも保守派からリベラル寄りまでいる。
要するに守備範囲が異常に広い。
「福祉を充実させろ」と言えば、自民党もやる。
「子育て支援を」と言えば、それもやる。
「防衛力を強化しろ」と言えば、それもやる。
野党が政策を掲げても、自民党がかなりの部分を取り込んでしまう。
すると最後に残るのが、
「では、自民党と何が決定的に違うのですか?」
という難問である。
日本人も、それほど左右に分かれていない
そもそも普通の有権者も、きれいに右と左へ分かれているわけではない。
防衛力は必要だが戦争は嫌だ。社会保障は維持してほしいが税金は上げてほしくない。企業には成長してほしいが弱者も守ってほしい。
矛盾しているようだが、普通の人とはそんなものである。
政治学の試験ではないのだから、自分の思想を完全に整合させる必要もない。
ところが政党が思想を純化しすぎると、こうした普通の有権者から離れていく。
そして最後は、
「まあ、自民党でいいか」
に戻る。
自民党最大の強みは、熱狂的に支持されることより、この巨大な「まあ、ここでいいか」の受け皿になれることなのかもしれない。
日本に必要なのは「もう一つの自民党」なのかもしれない
だからといって、自民党だけでいいわけではない。
どんな組織でも競争相手がいなくなれば緩む。選挙で失敗しても「でも他に任せられる党がない」で済むなら、与党にとってこれほど楽な環境はない。
では、自民党と正反対の政党を作ればいいのか。
私はむしろ逆だと思う。
自民党と同じような基本政策の中道から穏健保守の政党がもう一つあればいい。
政権が交代しても国の基本方針が180度変わるわけではない。しかし、
「今回はこっちに任せよう」
と有権者が政権を入れ替えられる。
右と左が国家観をめぐって全面戦争するより、
「どちらが少しマシに国を運営できるか」
で競えばいい。
夢がないようだが、政治に毎回夢を見せてもらう必要もない。ちゃんと動けば十分である。
必要なのは「任せても大丈夫」な野党
だから私は、「左派が終わるのか」ということ自体には、それほど興味がない。
問題は、
「結局、自民党以外に政権を任せられるところがない」
という状態が続くことだ。
民主主義に必要なのは、思想的に美しい野党ではない。
本当に政権を奪える野党である。
日本政治に足りないのは、もっと右でも、もっと左でもないのかもしれない。
必要なのは、
「自民党が嫌なら、こっちに任せても大丈夫」
と普通の人が思える政党である。
ずいぶん低いハードルに聞こえる。
ところが日本政治は、何十年もこのハードルにつまずき続けている。