「ゲームして何になるの?」——役に立たない専門学校が、ある人たちには役に立っている話
世の中には、ネット民から評判の悪い専門学校がある。
Eスポーツ専門学校などは、その代表格だろう。
「学校に行ってゲームして何になるんだ」 「プロになれるのは一握りだろ」 「そんなものに何百万円も払うなら働け」
鉄道系の専門学校も似たようなことを言われる。鉄道が好きで学校へ行っても、鉄道会社に入れる保証などない。
なるほど。
学校とは、払った学費を将来の給料として回収する金融商品らしい。
そう考えれば、就職に直結しない学校など不良債権である。
だが、こういう学校には就職率とは別の役割もあるのではないか。
ゲームをするためなら学校へ行ける子もいる
例えば、不登校だった子がいる。
普通の高校には行けなかった。教室にも馴染めなかった。
ところがEスポーツの専門学校なら行ける。
朝起きて電車に乗り、学校へ行く。同じゲームが好きな人間と話し、一緒に昼飯を食べ、また翌日も学校へ行く。
傍から見れば「学校でゲームしているだけ」である。
しかし、それまで家からほとんど出られなかった人間なら、これは大きな変化だ。
世間はすぐに、
「それが何の役に立つの?」
と聞く。
家から出て、人と会って、毎日決まった場所へ通っている。
十分役に立っている。
大学の「自由」は意外と厳しい
「それなら大学へ行けばいい」と思うかもしれない。
たしかに世の中にはFランと揶揄されるような、学力がなくても入れてしまう大学も多い。
だが大学は自由な分、自分から動かなければならない。
履修を決め、友達を作り、コミュニティにも自分から入っていく。
人間関係でつまずいてきた人にとって、この「自由」は意外と厳しい。
専門学校ならクラスや時間割があり、しかもゲーム好きならゲーム好き、鉄道好きなら鉄道好きが集まっている。
「趣味は何ですか?」という最初の一球すら必要ない。
最初から全員だいたい同じものが好きだからである。
なぜゲームだけ成果を厳しく問われるのか
Eスポーツ専門学校を出ても、全員がプロゲーマーになれるわけではない。
鉄道専門学校を出ても、全員が鉄道会社に入れるわけではない。
だから「意味がない」。
しかし文学部を出た人が全員作家になるわけではないし、物理学科を出た人の大半も物理学者にはならない。
ところがゲームになると突然、
「卒業後、その道のプロになれるのか」
という厳格な成果測定が始まる。
まあ正直に言えば、ゲームの専門学校よりは会計の専門学校とか、調理の専門学校の方がまだ就職時の受けはよいかもしれない。
でも、所詮は専門学校である。
業種によるかもしれないが専門学校生に専門性をあまり期待しないケースのほうが多いと思う。
少なくとも私がIT企業の面接官なら、専門学校の名前よりも人間性を見る。
プログラミング学校卒のほうが基礎知識を教える手間が省けるくらいのアドバンテージはあるが、面接時の印象のほうを圧倒的に優先する。
もし本当に専門性のある人材が欲しいなら大卒、大学院卒から探すだろう。
アルバイトでも大成功かもしれない
ここで不登校や引きこもりのケースに戻れば、
学校へ通った。
友達ができた。
二年間そこへ通い、卒業した。
プロゲーマーにも鉄道会社員にもなれなかった。
そして卒業後、まったく関係のない仕事でアルバイトを始めた。
数字だけ見れば「専門教育を仕事に生かせなかった」と評価されるのかもしれない。
だが、その学校がなければ社会との接点を失い、そのまま何年も家に引きこもっていた未来があったとすれば、
アルバイトでも働いて給料をもらっている未来の方が、よほど大成功である。
世間は若者に「社会に出ろ」と言う。
ゲームや鉄道を入口にして社会へ出れば、
「そんな学校に何の意味がある」
と言う。
卒業してコンビニで働けば、
「何のために専門学校へ行ったんだ」
と言う。
家から出て、学校へ通い、友達を作り、最後には働くところまで来た。
それでも「失敗」だというのなら、世間のいう「成功」はずいぶん狭き門である。