「日本スゴイ」はいつ始まったのか——外国コンプレックスと千年以上付き合ってきた国

YouTubeで日本史の解説を見ていたら、「日本スゴイ」論について面白い話をしていた。

テレビやネットでは、外国人が日本の鉄道の正確さに驚き、コンビニを絶賛し、和食に感動する番組や動画が繰り返し作られている。

これが視聴率を取れるらしい。

これを「落ち目になった経済大国が、アニメや和食にすがって自尊心を満たしている」と説明することはできる。私もこれまでは、かなりそのように見ていた。

ところが、その歴史解説では、もっと昔から似た構造があったという話をしていた。

ちょうど先日、似たようなテーマでブログを書いたのだが、日本スゴイという視点に関してはあまり考察していなかった。

https://ksc.asia/en/blog/does-japanese-culture-have-three-layers-the-curious-pattern/

日本は外から進んだ文明を取り込み続けてきた。そのたびに相手の進歩を認め、自分たちの遅れを突きつけられる。そして、その反動として「では日本とは何なのか」「日本固有の価値とは何なのか」という方向へ戻っていく。

そう考えると、「日本スゴイ」はここ数十年に突然始まった話ではなくなる。

外来文明を取り込むことは、自分たちの遅れを知ることでもある

日本文化は、外から入ってきたものを大量に吸収してきた。

古代には中国大陸や朝鮮半島を経由して、漢字、仏教、政治制度、建築、暦、さまざまな技術や文化を取り入れた。近代になると、今度は西洋から軍事、法律、学校制度、医学、科学技術、産業などを猛烈な勢いで導入した。

後世から見れば、「外来文化を柔軟に取り込み、日本流に作り替えた」と評価できる。

しかし、取り込む側にとっては、それほど気持ちのいい話ばかりではない。

必死に外国から学ぶという行為そのものが、

「向こうのほうが進んでいる」

と認めることでもあるからだ。

黒船を見て蒸気船を学ぶ。西洋医学を学ぶ。近代的な軍隊を作る。制度を輸入する。

そこには知的好奇心だけではなく、「このままでは負ける」という恐怖もあった。

外国文化を丸ごと取り込むというのは、文化交流であると同時に、自分たちが劣っている部分を毎日確認する作業でもある。

外を向きすぎると、今度は内側を探し始める

YouTubeの解説で面白かったのは、その反動についての話だった。

外来文化の影響が強くなればなるほど、「では日本固有のものとは何なのか」という問いが強くなる。

江戸時代の国学では、本居宣長らが中国由来の思想の影響を批判し、日本の古典や精神へ戻ろうとした。モンゴルが攻めてきたときには台風のお陰で助かったのだが、これは日本は神の国だから守られたのだ、という神国思想につながった。

近代には西洋文明の巨大な圧力を受け、その一方で大和魂や日本固有の精神が強調されていく。

外から巨大な文明がやってくる。

必死に取り込む。

取り込めば取り込むほど、自分たちが何者なのか分からなくなる。

そこで、

「いや、日本には日本にしかない素晴らしいものがある」

という方向へ戻る。

この往復運動を考えると、現代の「日本スゴイ」も急に見慣れたものに見えてくる。

「日本スゴイ」は最近始まったのか

GDPでは中国に抜かれ、巨大IT企業はアメリカに集中し、AIでも米中の存在感は圧倒的である。

そんな時代に、

「でも日本のアニメは世界で人気だ」

「和食はすごい」

「新幹線は時間どおりに来る」

「外国人が日本のコンビニに驚いている」

というコンテンツが人気になる。

これだけを見れば、衰退する経済大国の現実逃避という説明は分かりやすい。

しかし、YouTubeで見た歴史の話を重ねると、もう少し古い構造にも見えてくる。

外を見て圧倒される。必死に追いつこうとする。追いつこうとすればするほど、自分たちの劣っている部分が見える。そして最後に、「では自分たちの価値は何なのか」と内側を探し始める。

経済が落ち目になったから突然始まった心理ではなく、外来文明を吸収してきた歴史そのものとセットな現象なのかもしれない。

思想より、ニラ玉と酢豚のほうが効く

YouTubeの歴史解説で、特に印象に残った話があった。

古代の日本人がまだ素朴な食生活をしていた頃、中国ではすでに油を使った炒め物など高度な調理文化が発達し、今で言えばニラ玉や酢豚のようなものまで庶民レベルで食べられていた、という話である。

これを聞いて、妙に納得してしまった。

われわれは古代中国から受けた衝撃というと、漢字、仏教、律令制度、儒教といった立派なものを並べる。しかし、実際の人間が感じる文明格差は、もっと単純だったのではないか。

「あの国の連中、俺たちよりすごいもの食ってるぜ」

こっちのほうが、よほど強烈である。

高度な政治制度なら難しくてよく分からない。思想なら理解するまで時間がかかる。しかし、目の前でうまそうなものを食っているのは一瞬で分かる。

そこには「すごい」だけではなく、「羨ましい」がある。そして羨ましさは、自分たちがまだそこに届いていないという感覚と表裏一体だ。

外国コンプレックスというと壮大な文明論に聞こえるが、その原点は案外もっと人間臭い。

思想の差は説明されないと分からない。ニラ玉の差は、 食べれば分かる。