触ったこともない技術を語るより、今日自分が思ったことを書く
最近、技術系の記事を書くペースが少し落ちている。
理由は単純である。
書くことがなくなってきた。
仕事をしていれば、ときどき妙な障害に遭遇したり、「こんな機能があったのか」と気づいたりする。そういうときは記事にできる。
しかし、エンジニアの日常は毎日が技術的な大発見ではない。
昨日もClaude、今日もClaude、明日もClaudeである。
毎朝、新しい技術ネタが机の上に一つずつ置かれているわけではない。
とはいえ、ブログはできるだけ定期的に書きたい。
そこで最近は、技術だけにこだわらず、日常生活で気づいたことや、ニュースを見て考えたことまで書くようになった。
最初は単純なネタ切れ対策だった。
しかし、技術ブログのネタを探しているうちに、そもそも「技術記事を書く」ということについて少し考えるようになった。
触ったこともない技術を、なぜそこまで語れるのか
ブログのネタを探すために、技術記事を読んだりYouTubeを見たりすることがある。
すると結構な頻度で、
「この人、たぶんこれ使ったことないな」
という記事に出会う。
公式ドキュメントや海外記事を調べ、それをきれいに整理している。説明そのものは間違っていない。
しかし、妙に平坦なのである。
「この技術のメリットはA、B、Cです」
「従来方式と比較すると、このような特徴があります」
「今後注目される技術でしょう」
きれいなのだが、使った人間特有の匂いがない。
実際に使った人の話には、もっと余計なものが混じる。
「ここで半日ハマった」
「ドキュメントにはこう書いてあるけど、実際にはこっちの設定も必要だった」
「便利だと思って導入したけど、正直いらなかった」
私は技術記事なら、むしろそこが読みたい。
仕様なら公式ドキュメントを読めばいい。
今ならAIに聞いてもいい。
人間が書く意味があるのは、そこに「その人」が混じっているからだ。
自分の知っていることだけを書けば、今度はマニアックになる
では、自分が実際に使った技術だけを延々と深掘りすればいいのか。
それも違う。
たとえばJavaを長く使ってきた人なら、ガベージコレクションについて何本も記事を書ける。
ヒープ領域から世代別GC、停止時間、アルゴリズムの違い、チューニングパラメータまで掘れば、ネタはいくらでも出てくる。
そして最終的には、
書いている本人と、検索で事故って迷い込んだ数人しか読まない記事が完成する。
技術的には正しい。
専門性もある。
だが、私はGCについて世界で一番詳しい人になるためにブログを書いているわけではない。
仕事では必要なら細かいところまで調べる。
しかし、それを休日まで延々と記事にしたいわけでもない。
そうなると選択肢は二つになる。
触ったこともない最新技術を調べて、それらしい解説記事を書くか。
自分の知っている技術を、誰もついてこられないところまで深掘りするか。
どちらも、あまりやりたいとは思わなかった。
だったら、今日考えたことを書けばいい
そこで技術という縛りそのものを外してみた。
実際に仕事で使って面白かった技術があれば、それを書く。
ハマったことがあれば、その失敗を書く。
新しい技術を本当に触ったなら、その感想を書く。
何もなければ、今日考えたことを書く。
政治でも、経済でも、映画でも、AIでも、近所で見かけた出来事でもいい。
少なくとも、触ったこともない技術についてネットで情報を集め、それを自分が詳しいかのように説明するよりは、こちらのほうが自分の言葉で書ける。
そして今は、この判断が以前より合理的になったとも感じている。
AIがあるからだ。
知らない技術について公式ドキュメントを調べ、情報を整理し、
「○○とは何か?メリット・デメリットを徹底解説!」
という記事を作るだけなら、AIはかなり上手にやる。
人間が数時間かけて調べて、それっぽくまとめる価値は明らかに下がった。
AIに聞けば出てくる情報を、私がもう一度きれいに並べ直して公開する。
それを続けても仕方がない。
一方で、
「今日ニュースを見て、この部分が妙に引っかかった」
「仕事をしていて、このやり方は変だと思った」
「AIを使っていたら、こんな妙なことが起きた」
という話は違う。
そこには、自分が何を見て、どこに引っかかり、どう考えたかが入っている。
そもそも、私は何のためにブログを書いているのか
ここまで考えて、ようやく一番根本的なところに戻った。
そもそも私は、何のためにブログを書いているのか。
技術百科事典を作りたいわけではない。
技術知識の量を競いたいわけでもない。
ブログを書いている最大の目的は、私自身を知ってもらうことである。
もちろん、仕事につなげたいという目的もあるが、承認欲求の側面も否定しない。
ともあれ私はエンジニアなので、技術の話は当然その一部になる。
どんな技術を使ってきたのか。どこでハマったのか。問題が起きたときにどう考え、どう解決したのか。
しかし、それだけが私ではない。
ニュースを見て何に引っかかるのか。
仕事で何をおかしいと思うのか。
新しいAIを触って何を感じるのか。
街を歩いて何に気づくのか。
そういうところにも、その人の考え方はかなり出る。
技術経歴だけなら職務経歴書を見ればいい。
「AWSができます」「Pythonができます」「設計経験があります」という情報ならLinkedInのプロフィールにも書いてある。
ブログだから伝えられるのは、その先である。
問題が起きたときにどう考える人なのか。
新しいものを何でもありがたがるのか、一度疑ってみるのか。
おかしいと思ったことをそのまま流すのか、「なぜだろう」と考えるのか。
だったら、使ったこともない技術について一生懸命調べて書くより、今日自分が考えたことを書いたほうが、ブログを書いている目的には合っている。
AIが数十秒でまとめられる技術知識を私が書き直すより、私が今日何を見て、何を考えたのかを書く。
そのほうが、書いている方も楽しい。
最近、技術とはほとんど関係のない記事が増えているのは、そういう理由である。
今日ClaudeでハマったならClaudeについて書く。
スーパーで米の値段を見て何か考えたなら、それを書く。
映画を見て妙なことに気づいたなら、それも書く。
ジャンルとしてはバラバラである。
しかし、「私が何を見て、どう考えたか」という点では、全部同じテーマなのだ。
そう考えると、技術ネタがなくなったことを心配する必要もなくなった。
たぶん、世の中を見て何も思わなくなったときのほうが、ブログとしては本当のネタ切れなのだろう。