誰も作らないと思っている新幹線を、なぜ今日も「推進」するのか

先日、鉄道系YouTuberが四国新幹線について解説している動画を見た。

そこには、四国新幹線の実現を目指す地元団体の方も同席していた。

海外の読者向けに説明すると、四国というのは日本を構成する4つの大きな島の一つで、人口の面でも経済規模も小さい地域である。

YouTuberは現在の交通事情、人口、建設費、完成した場合の時間短縮効果などを順番に説明していく。そして結論は、かなりシンプルだった。

「四国に新幹線はいらない」

別に推進派と反対派が激しく議論する動画ではない。そもそもYouTuber自身、鉄道愛にあふれる人だ。その人がデータを示しながら淡々と説明している。

一方、同席している推進団体の方は、だんだん言葉が少なくなっていく。

まあ、気持ちは分かる。

「新幹線ができれば地域が発展する」という話なら夢はいくらでも語れる。しかし、

「人口はこれくらいです」

「建設にはこれだけのお金がかかります」

「完成しても時間短縮はこれくらいです」

と現実を一つずつ並べられ、最後に「だから必要ないと思います」と言われると、なかなか返す言葉がない。

見ているこちらまで可哀想になってきた。

ただ、そこで別のことが気になった。

そもそも四国新幹線を推進している人たちは、本当にできると思っているのだろうか。

新幹線は欲しい。では、お金をお願いします

四国新幹線の構想は1970年代から存在する、かなりの長寿プロジェクトである。

新幹線がタダでやって来るなら、地元としては歓迎だろう。駅ができ、人が来て、企業や観光客も増えるかもしれない。

私の家の前にも駅を作ってくれるなら歓迎する。

問題は、現実の新幹線はタダではないことだ。

「新幹線が必要なのは分かりました。では地元負担分をお願いします」

となった瞬間、空気はかなり変わるはずだ。

「ぜひ作ってください」と「そのために自分たちの予算を何千億円も使います」の間には、本州との海峡より広い溝がある。

そこで少し分からなくなってくる。

これは本当に新幹線を作るための運動なのだろうか。

「やめよう」と言った人だけが損をする

四国新幹線計画が何十年も生き続けている理由の一つは、誰にとっても **「やめるメリットがあまりない」**からではないか。

政治家が「新幹線を四国へ」と言えば、地元振興に熱心に見える。経済界も「ぜひ実現を」と言っておけばいい。自治体も要望を出す。

誰も困らない。

ところが一人だけ、

「これ、もう無理じゃないですか。やめましょう」

と言ったら、その人だけが「四国の発展を諦めた人」になる。

だったら言わないほうがいい。

自分の任期中に完成する可能性がほとんどなくても、「引き続き実現に向けて努力してまいります」と言っておけば、とりあえず誰にも怒られない。

なるほど。これは強い。

「検討中」は非常に便利な状態である

考えてみれば、日本にはこういう案件が結構ある。

中止すると決めたわけでも、実施すると決めたわけでもない。ただし、検討は続ける。

この状態が非常に便利なのだ。

実施して失敗すれば責任が発生する。中止しても責任が発生する。しかし「引き続き検討します」なら、まだ何も失敗していない。

しかも翌年も「実現に向けて機運を高めていく」と言える。

完成予定日がなければ、納期遅延もしない。

IT業界でこんな案件があったら夢のようである。

40年以上リリースしていないのに、プロジェクトは炎上していない。

私はエンジニアとして、少し羨ましくなってきた。

本当に怖いのは新幹線ができることかもしれない

ここまで考えると、四国新幹線の推進運動そのものが悪いとも思えなくなってきた。

このゲームのルールなら、私が地元政治家でもたぶん推進する。

「やめます」と言えば怒られる。「作ります」と言っても、すぐには作られない。しかも「地域の未来のために頑張っています」という実績にはなる。

これほどローリスクな政策も珍しい。

むしろ関係者にとって一番困るのは、ある日突然、国から、

「分かりました。四国新幹線、本当に作りましょう。つきましては地元負担ですが――」

と言われることではないだろうか。

40年以上「実現を!」と言い続けてきた手前、

「いや、本当に作るとは思っていませんでした」

とは、さすがに言いにくい。