弁護士が入ると、なぜ話がこじれることがあるのか――法律は人を守るが、人間関係まで守るとは限らない

最近話題になった、ある俳優と女優、そしてテレビ局を巻き込んだトラブルを見ていて、少し考えさせられた。

発端は、撮影中の接触だった。

報道によれば、俳優が演技の流れの中で女優の顎に触れたことが、セクハラではないかと問題になった。

「顎に触れただけで?」

そう思った人も少なくないだろう。

しかし、話はそれほど単純ではない。

女優側は、出演を受ける段階で「身体的な接触には制限を設ける」という条件をテレビ局へ伝えていたという。

一方、その条件は俳優本人には共有されていなかったとされている。

俳優からすれば、「それでは演技にならない」。

女優からすれば、「約束が守られていない」。

どちらにも、それぞれ理屈はある。

本来なら、テレビ局が最初に調整しておくべき話だったのだろう。

ところが、この話はそこでは終わらなかった。

当初はセクハラ問題として報じられていたが、その後、俳優側が受けた対応が明らかになるにつれ、世間の関心はテレビ局の対応そのものへ移っていった。

そこで名前が出てきたのが、テレビ局側の弁護士である。

報道によれば、その弁護士は俳優に対し、

「スタッフがいる場所では普通に接してください」

「ただし二人きりでは一切会話をしないでください」

「ルールを守らなければ訴訟リスクがあります」

という趣旨の指示を出していたという。

法的なリスク管理としては理解できる。

しかし、人間がその環境で普通に仕事を続けられるかと言われると、話は別である。

案の定、俳優は精神的に追い詰められ、降板を申し出た。

その後、テレビ局は「やり過ぎだった」と判断したのか、弁護士を交代させ、俳優へ謝罪に動いたと報じられている。

法的リスクは減ったのかもしれない。

その代わり、人間関係は完全に壊れた。

弁護士は「裁判に勝つ方法」を考える

ここで勘違いしてほしくない。

私は弁護士を批判したいわけではない。

彼らは、自分の仕事をしているだけである。

依頼人を法的リスクから守る。

それが職業だ。

保険会社は支払額を最小にすることを考える。

税理士は税負担を減らすことを考える。

弁護士は裁判で負けない方法を考える。

それ自体は何も間違っていない。

問題は、その最適解が、人間関係の最適解とは限らないことだ。

法律には、「相手が委縮する」という条文はない。

契約書には、「職場の空気が最悪になる」という項目もない。

しかし現実には、その二つの方が裁判より深刻な結果を生むことがある。

日本では「正しい」が嫌われることがある

日本人は、理屈だけでは動かない。

「法的にはこちらが正しい」

そう説明されても、「だから何だ」と感じる場面は少なくない。

和解。

空気。

お互い様。

日本では昔から、そういう曖昧なものが人間関係を支えてきた。

だから法律だけを前面に出すと、「正しいけれど、一緒には仕事をしたくない」という評価になりやすい。

アメリカのような訴訟社会では合理的な対応でも、日本では「そこまでやるのか」という拒否感につながる。

どちらが正しいという話ではない。

文化が違うのである。

「責任を取れ」が社会を少しずつ壊す

弁護士が全面に出てくると、違和感が出てくるケースというのはたまに見かける。

以前、雪山で遭難事故が起き、救助活動にあたった救助隊員が遺族から訴えられたことがあった。

遺族が不満だったのか、金目当て弁護士が煽ったのかはわからない。

結果から言えば、救助隊に過失は認められず無罪だった。

当然である。

雪山の救助は、命懸けだ。

天候は急変する。

視界も悪い。

自分たちが二次遭難する危険すらある。

それでも救助隊は現場へ向かう。

その活動に対して、「助けられなかったから責任を取れ」と言い始めたらどうなるか。

山岳関係者や山岳会、登山愛好家が一斉に反対署名を集めたのも無理はない。

もし有罪になれば、「命を懸けて救助に行く人」は激減するだろう。

成功しても感謝される保証はない。

失敗すれば裁判になる。

そんな仕事を誰が引き受けるのか。

善意や使命感で支えられている仕事まで、「結果が悪かったから訴える」が当たり前になれば、最後に困るのは社会全体だ。

法律は社会を守るためにある。

ところが、法律だけを武器として振り回せば、今度は社会の善意が消えていく。

何とも皮肉な話である。

助けられなかったら訴えます。

そんな前提でいるなら、危険な雪山には行かない方がいい。

救助隊は保険会社ではない。

命懸けで助けに来る人たちなのである。

法律は万能ではない

エンジニアを長くやっていると、似たような場面によく出会う。

セキュリティ部門は、事故を防ぐためにルールを増やす。

監査部門は、不正を防ぐために書類を増やす。

法務部門は、訴訟を防ぐために契約書を厚くする。

どれも間違ってはいない。

しかし、それぞれが百点満点を目指すと、今度は誰も仕事が進まなくなる。

組織というのは不思議なもので、全員が自分の役割を完璧に果たした結果、全体として失敗することがある。

弁護士も同じだ。

法的には百点。

しかし、人間関係は赤点。

そんな場面は決して珍しくない。

法律は強力な道具である。

だからこそ、それだけでは解決できない問題もある。

「ハンマーしか持っていない人には、すべてが釘に見える」

という有名な言葉がある。

弁護士にとってのハンマーは法律だ。

しかし、人間関係は釘ではない。

無理に打ち込めば、壊れることもある。