東大生が官僚を目指さなくなった理由――激務の先に待っていた「天下り」という報酬の消滅

最近、「東大生の官僚離れ」という話をよく耳にする。

かつて東大法学部から中央省庁のキャリア官僚になることは、エリートの王道だった。しかし今では、外資系コンサルやGoogleなどの大手IT企業を目指す学生が目立つ。

なぜ、国を動かす仕事よりも民間企業が選ばれるようになったのか。

個人的には、若者が合理的になった結果だと思っている。

昔知り合った厚生省の官僚

ずいぶん昔、旧厚生省の官僚と知り合ったことがある。

話を聞いて驚いたのは、その凄まじい働き方だった。

特に国会開会中は、議員への答弁資料の準備などで深夜まで仕事が続く。家に帰ることすら難しい日もあるという。

当時からIT業界で働いていたので、長時間労働にはそれなりに慣れていた。それでも、官僚の働き方は別格だと感じた。

しかも、それだけ働いて給料が飛び抜けて高いわけではない。

民間企業なら、優秀な人間が激務をこなせば、それなりの報酬を期待できる。しかし官僚は公務員である。どれほど優秀でも、給与体系には限界がある。

では、何が彼らをそこまで働かせていたのか。

もちろん、国を動かすという使命感や仕事のやりがいもあっただろう。

しかし、もう一つ無視できないのが、出世とその先に待っていた待遇である。

激務の先には「天下り」があった

官僚の世界は厳しいピラミッド構造だ。

事務次官まで出世できるのは、ごく一部。大半は途中で出世競争から外れる。

かつては、そうした官僚が関連団体や企業の幹部に転じる「天下り」が、キャリアの出口として機能していた。

現役時代は薄給と激務に耐え、その代わり退職後には相応の地位と待遇が用意される。

ある意味、長期的な報酬制度だったわけだ。

ところが、この天下りが世間から猛烈に批判されるようになった。

「税金の無駄遣いだ」「官僚だけが甘い汁を吸っている」

その結果、再就職に関する規制は強化され、かつてのような天下りを当然視できる時代ではなくなった。

もちろん、官僚の再就職そのものが消滅したわけではない。しかし、少なくとも昔のように、退職後の好待遇まで含めて人生設計を描くことは難しくなった。

報酬だけが減って、激務は残った

ここで考えたいのは、天下りの是非そのものではない。

官僚という仕事のリターンだけが削られ、激務の構造は大して変わっていないのではないか、ということだ。

深夜まで国会答弁を準備し、政治家の要求に振り回され、厳しい出世競争を勝ち抜く。

それでも事務次官になれる保証はない。

昔なら、途中で出世競争から外れても、退職後の待遇という別の報酬が期待できた。

ところが、その出口が狭くなった。

これでは優秀な若者が別の道を選ぶのも当然だろう。

同じ激務なら、外資系で稼いだ方がいい

さらに、今は転職が当たり前の時代だ。

昔は一つの組織で定年まで勤め上げることに価値があった。しかし今の若者は、20代、30代でどんな経験を積み、どれだけ市場価値を高められるかを考える。

外資系コンサルも決して楽な仕事ではない。激務という点では官僚と大差ない職場もあるだろう。

しかし、給与水準は高く、そこで得た経験を武器に転職や独立を目指すこともできる。

大手IT企業も同様だ。

官僚になれば、国の制度や行政の仕組みに精通できる。一方、コンサルやIT企業なら、民間市場で評価されるスキルと実績を積み上げられる。

しかも、成功すれば若いうちから高額の報酬を得られる。

同じように激務をこなすなら、将来の出世や退職後の待遇に賭けるより、今の給料と自分の市場価値を優先する。

実に合理的な判断だ。

官僚離れは、若者が賢くなった結果ではないか

日本では、優秀な人材が官僚を目指さなくなったことを問題視する声がある。

しかし、考えてみれば不思議な話だ。

激務はそのまま。給与は民間のトップ企業に及ばない。出世できるのは一握り。そして、かつて存在した退職後の好待遇も期待しにくくなった。

これだけ条件が変われば、志望者が減るのは自然な結果である。

天下りを批判し、特権を削ること自体には合理性がある。

だが、その代わりに現役官僚の待遇や働き方を改善しなければ、優秀な人材を確保するのは難しくなる。

それなのに、官僚離れが進むと「最近の若者は国家への使命感が足りない」と嘆く。

報酬を削り、激務だけを残しておいて、最後は使命感で働けという。

どうやら日本では、最も優秀な人材は、損得勘定をしてはいけないらしい。