だから山を舐めてはいけない——富士山遭難事故と「ここまで来たから」という罠
先週の日本は連日の大雨だった。各地で洪水や土砂災害が発生し、テレビをつければ警報や避難情報が流れていた。
そんな悪天候の中、富士山で登山者2人が低体温症で亡くなる事故が起きた。
救助要請は出ていたものの、猛烈な雨と荒天で救助隊もすぐには近づけなかったという。
ニュースを見ていて、改めて思った。
山を舐めてはいけない。
しかも今回気になったのは、その前に何度も「やめるチャンス」があったことだ。
「今日は登るな」と言われても登る
報道によれば、登山口では関係者が悪天候を理由に登山をやめるよう呼びかけ、途中の山小屋でも登頂を断念するよう警告が出ていたという。
それでも登り続ける人がいた。
一人は海外から来た登山者だったという。遠くから日本まで来て、ホテルを予約し、交通費を払い、日程を組んだ。そして登山シーズンも終わりに近い。
「今日を逃したら次はない」
そう考えたのかもしれない。
しかし山からすれば、そんな事情は知ったことではない。
人間は「ここまで来たから」に弱い
せっかく日本まで来た。せっかくここまで登った。あと少しで頂上だ。
人間は、それまでに使った金や時間が大きいほど諦めにくくなる。いわゆるサンクコストだ。
しかし、地球の裏側から来ていようが、天候が危険なら引き返すしかない。
過去に使った金も時間も、現在の天候を改善してはくれない。
「初心者でも登れる山」の怖さ
富士山には「初心者でも登れる山」というイメージがある。
しかし、「初心者でも登れる」と「いつでも安全に登れる」はまったく違う。標高3776メートルの山である。
平地が暑くても山頂は寒い。風が吹き、雨で服が濡れれば体温は急速に奪われる。まして9月の荒天となれば、東京の街を歩く感覚とは別世界だ。
コンビニもなければタクシーも来ない。スマートフォンで救助を要請できても、救助隊が瞬間移動してくるわけでもない。
われわれは普段、「困ったら誰かが助けてくれる」社会で暮らしている。
山では、その社会インフラそのものが届かないことがある。
遭難事故の再現動画には、同じパターンが出てくる
YouTubeには、実際の遭難事故を再現アニメにした動画が結構ある。私も時々見るのだが、いくつも見ていると似たパターンが出てくる。
一つはサンクコスト。
「せっかくここまで来た」 「もう少しで頂上だ」
そしてもう一つが、根拠のない楽観主義である。
道に迷っても「たぶんこちらで合っている」。天候が悪化しても「そのうち回復する」。知らない道に入っても「ここを越えれば登山道があるはずだ」。
問題は、その「はず」に根拠がないことだ。
地図を確認したわけでも、GPSで位置を特定したわけでもない。
ただ、道があってほしいから、道があるはずだと思う。
そして何も見つからなければ、「ここまで来たのだから、もう少し先まで」となる。
サンクコストと楽観主義が合体する。
これが怖い。
「ここを越えれば」の根拠は何か
遭難事故の再現を見ていると、「なぜここで戻らなかったのか」と思う場面が何度もある。
しかし、自分がその場にいたら同じ判断をしないとは言い切れない。
引き返せば、それまでの数時間が無駄になる。一方、前へ進む理由はいくらでも自分で作れる。
「もう少しだけ」 「たぶん大丈夫」 「ここを越えれば」
人間の脳は、前へ進みたいと思った瞬間から、その判断を正当化する材料を集め始める。
だから重要なのは、
「ここを越えれば道があるはずだ」
と思った瞬間に、
「なぜ、そう思う?」
と自分に聞けるかどうかだ。
答えが「なんとなく」なら、それは判断ではなく願望である。
人間は「ここまで来た」と「たぶん大丈夫」を組み合わせるだけで、自分から危険な場所へ歩いていける。
山を舐めてはいけない。
そしてたぶん、山以上に舐めてはいけないのは、自分の判断力なのだ。