ネットの悪口を「世論」だと思う必要はない――0.5%の声が世界を埋め尽くす
先日、「日本語の資格試験を受けたい外国人が多すぎて、対応が追いつかない」という趣旨のニュースを見かけた。
日本語は英語のような世界共通語ではない。それでもわざわざ時間をかけて勉強し、試験まで受けようという外国人が大勢いる。
経済は停滞、人口は減少、景気のいい話も少ない。そんな日本にまだ興味を持ち、日本語まで勉強してくれる人がいるのだから、私は単純にありがたい話だと思った。
単純に労働ビザのために必要なのかもしれないが、それでも正規のルートで努力をしているのである。
ところがコメント欄を開くと、そこには別の日本が広がっていた。
「外国人は日本に来なくていい」
「日本語なんて勉強しなくていいから、自分の国へ帰れ」
さらに前向きな意見を書いた人に対しては、「外国人犯罪の被害に遭ってから言え」といった反論まで飛んでいる。
いや、待て。
日本語の資格試験をわざわざ受けようとしている外国人と、日本で犯罪をする外国人を、なぜ同じ箱に入れているのか。
そこまで一緒にしたら、もはや議論ではない。「外国人」というラベルしか見ていないだけだ。
そして、こういうコメント欄を眺めていると、まるで日本中が外国人を嫌っているような錯覚に陥る。
しかし、ここにネットの罠がある。
ネット炎上に関する研究では、炎上に参加する人はネットユーザー全体のごく一部であり、その少数が繰り返し書き込むことで、実際以上に大きな勢力に見えることが指摘されている。
つまり、ネットのコメント欄は国民投票ではない。
少数の人間が連打すれば、少数意見でも画面いっぱいに敷き詰めることができる。
100人が一度ずつ「まあいいんじゃない」と思っていても、一人が100回「絶対に許さん」と書けば、画面上では五分五分になる。
民主主義としてはかなり雑だが、コメント欄としては立派に成立する。
そんなことを考えながらニュース一覧を見ると、すぐ近くには日本人メジャーリーガーがドジャースの勝利に貢献したというニュースが並んでいた。
そこで少し意地の悪いことを考えた。
先ほど「外国人は自分の国に帰れ」と書いていた人たちは、海外で活躍する日本人についてはどう考えるのだろう。
「日本人がアメリカに行って迷惑をかけるな。日本に帰ってこい」
と書くのだろうか。
たぶん書かない。
むしろ「日本人すごい」「世界で活躍する日本人を誇りに思う」と喜ぶのではないか。
外国人が日本へ来れば「自分の国へ帰れ」。
日本人が外国へ行って成功すれば「日本の誇り」。
ずいぶん便利な国境である。自分の気分に合わせて開いたり閉じたりできるらしい。
そして今回、もう一つ思ったことがある。
このブログにも、いつか辛辣なコメントが大量につく日が来るかもしれない。
そのとき「こんなに批判されているのだから、自分がおかしいのではないか」と考える必要はない。
批判に中身があれば読む。間違いを指摘されたなら直す。しかし、罵倒の数を世論調査の数字と勘違いする必要はない。
ネットでは一人の人間に一票しか与えられているわけではない。一人で10回でも100回でも書ける。
だから私はこれからも、自分が面白いと思ったことを淡々と書く。
ネットの多数決で一番強いのは、多数派ではない。書き込む時間が一番余っている人である。