脇の下からおばあさんが出てきた――「年上には譲るべき」をどこまで守るのか

先日、少し足を延ばして阿波踊りのお祭りを見に行った。

外国の人に説明すると、阿波おどりというのは日本的なダンスパレードのようなもので、そもそもは一部の地方だけのものだったが、今では日本中で行われている。

大勢の踊り手が目の前を通り過ぎていく。最初は人だかりの後ろから眺めていたのだが、運よく最前列の人が移動した。すかさず空いた場所に入る。

これはラッキーだ。

誰かを押しのけたわけでもない。たまたま空いた場所を確保しただけだ。それでも最前列は最前列。迫力がまるで違う。

ところが、しばらく見ていると妙な違和感があった。

脇の下に何かいる。

横を見ると、私の脇の下あたりから、知らない女性の顔が出ていた。

一瞬、状況が理解できなかった。

どうやら後ろにいた女性が、少しでも前で見ようとして、私と隣の人の隙間に頭を突っ込んできたらしい。

しかも結構な高齢者である。

とはいえ80代、90代という感じでもない。見たところ私より10歳くらい上、60代後半から70代くらいに見えた。

ここで困った。

「譲るべきなのか?」

相手が20代なら「いや、割り込むなよ」で終わる。

しかし相手が高齢者になると、突然こちらの頭の中に「年寄りには親切にしましょう」という道徳の授業が始まる。

とはいえ、こちらも正当に確保した最前列である。「見えないので譲ってもらえませんか」と頼まれたわけでもない。

いきなり脇の下から顔が生えてきただけだ。

結局、私は譲らなかった。

しばらくすると、その女性は諦めたのか、どこかへ行ってしまった。

「年寄りを大切にする」と「最優先する」は違う

後になって、少し考えた。

日本では昔から「年長者を敬え」と言われる。

階段で困っている人がいれば手を貸す。重い荷物を持っていれば助ける。電車で明らかに立つのがつらそうな人がいれば席を譲る。

それでいいと思う。

しかし、いつの間にか、

「高齢者には親切にする」

が、

「高齢者は常に若い人より優先される」

に変換されることがある。

ここは同じではない。

電車にも優先席がある。高齢者や妊婦、障害のある人など、座席を必要とする可能性が高い人を優先する仕組みだ。

逆に言えば、一般席まで「若い人間は高齢者を見た瞬間に立て」というルールではない。

年齢だけでは、その人がどれだけ疲れているのか分からないからだ。

遊んできた70歳と、働いてきた30歳

以前、ネットでも似たような話が話題になっていた。

観光帰りの元気な高齢者たちが電車に乗ってきて、仕事帰りで座っている若い会社員を見て、「最近の若者は席も譲らない」と不満を言う。

しかし考えてみれば妙な話だ。

朝から仕事をして疲労困憊の30歳と、一日観光を楽しんできた元気な70歳。

数字が大きいほうが自動的に座る権利を獲得するゲームではない。

足腰が弱っている、体調が悪い、立っているのが明らかにつらい。そういう人なら話は違う。

見るべきなのは「70歳」という数字ではなく、その人が実際に助けを必要としているかどうかだろう。

敬老は「割り込みパス」ではない

今回の祭りでも、女性から「少しだけ前で見せてもらえませんか」と頼まれていたら、私は譲ったかもしれない。

しかし実際には、気づいたら脇の下にいた。

これでは「年寄りを大切にするべきか」というより、単純に割り込みの問題である。

高齢者を敬うことと、高齢者だからマナー違反まで受け入れることは別だ。

困っている人には手を貸す。席を必要としている人には譲る。

しかし、元気に人混みをかき分け、他人の脇の下から最前列を狙える人まで「弱者」として扱う必要があるのだろうか。

少なくとも今回、私は場所を譲らなかった。

そして今でも、それほど悪いことをしたとは思っていない。

何しろ、他人の脇の下に頭を突っ込めるほど元気なら、自分で頑張って見やすい場所を探せばいいのだから。