フィジカルAIで「日本はソリューション勝負」と聞いて、30年前に笑った「先行者」を思い出した

先日、NHKで「フィジカルAI」についての解説番組を見た。

生成AIが文章を書いたり画像を作ったりするだけではなく、AIがロボットと結びつき、工場や物流、介護、建設など現実の世界で動き始める。いわゆるフィジカルAIである。

番組を見ながら、「いよいよここまで来たか」と面白く感じる一方で、日本の立ち位置については、なかなか厳しい話が続いた。

ロボットの「身体」に当たるハードウェアでは、中国勢が圧倒的なコスト競争力と開発スピードで攻めてくる。

一方、「頭脳」に当たる半導体やAIモデル、基盤ソフトウェアではアメリカ勢が強い。

ものすごく乱暴にまとめれば、

身体は中国、頭脳はアメリカ。では日本は何をするのか。

そんな話になっている。

これだけ聞くと、なかなかの敗北感である。

「日本はソリューションで勝負する」

そこで番組で出てきたのが、日本は基盤技術そのもので正面勝負するのではなく、実際の現場にAIやロボットを適応させる「ソリューション」で勝負するという話だった。

工場なら工場、物流なら物流、介護なら介護。

日本企業が得意としてきた現場改善や細かな要求への対応力を生かし、海外製のAIやロボットを日本の現場で本当に使える形に仕上げる。

これは別におかしな戦略ではない。

コンピューター業界でも、ハードウェアそのものからサービスやソリューションへ軸足を移した企業はいくらでもある。IBMがPC事業を売却し、長年ITサービスやコンサルティングを大きな柱としてきたのも、その代表的な例だろう。

プラットフォームを取れなかったなら、その上で商売する。

それはそれで立派な生存戦略である。

ただ、IT業界で長く仕事をしてきた人間としては、この「ソリューションで勝負」という言葉を聞くと、どうしても引っかかる。

それ、日本がこの30年ずっとやってきたSIビジネスと、かなり似ていないか。

日本の現場に詳しいことは、世界で強いことと同じではない

一つ目の問題は、ソリューションというものが極めてローカルな商売だということだ。

ソリューションビジネスの価値は、顧客の現場に深く入り込むことで生まれる。

「うちの工場では、この工程だけ特殊なんです」

「この帳票は昔からこの形式です」

「最終承認は本社のこの部署を通さないといけません」

そういう泥臭い事情を理解して、既製品では埋まらない隙間を埋めるからお金になる。

日本企業はこういう仕事が得意だ。

しかし、ここには大きな問題がある。

日本の現場に詳しいことと、世界市場で強いことはまったく同じではない。

日本の工場向けに徹底的に最適化したフィジカルAIの仕組みを、そのままインドやアメリカやドイツの工場に持っていけるとは限らない。

現地の法律も違う。商習慣も違う。労働環境も違う。設備も違う。意思決定の仕組みも違う。

海外へ出るたびに、また一から現場に入り込んでカスタマイズすることになる。

これではスケールしにくい。

そして国内だけで勝負するなら、待っているのは少子高齢化で縮小していく日本市場である。

「日本の現場を知り尽くしています」は強みではある。

同時に、それが日本から出られない理由にもなる。

苦労して作ったものを、上から標準機能にされたらどうするのか

もう一つ、こちらのほうが私は怖い。

フィジカルAIの基盤となるAIモデルやクラウド、半導体、ソフトウェアスタックの重要部分を海外企業に依存した状態で、その上に日本企業が一生懸命ソリューションを作るとする。

現場を何カ月も調査する。

失敗を繰り返す。

工場の作業員に話を聞く。

大量のデータを集める。

ようやく「この業界ではこうすればうまくいく」というノウハウができる。

そこには価値がある。

問題は、その価値を誰が握るのかだ。

AI時代には、現場から得られるデータや運用ノウハウそのものが資産になる。

もしそれを海外製プラットフォームの上で全部動かし、重要なデータや知見までプラットフォーム側に流れる設計にしてしまえば、下のレイヤーで苦労している会社ほど不利になる可能性がある。

そして一番嫌なのが、昨日まで高額なソリューションとして売っていた機能が、ある日突然プラットフォーム側の標準機能になることである。

IT業界では珍しい話ではない。

一生懸命作って商売にしていたものを、OSやクラウドやAIモデルのアップデートで上から潰される。

昨日まで「弊社独自の高度なソリューション」だったものが、翌朝には設定画面のチェックボックス一個になっている。

これほど悲しいものはない。

結局、また「下請け」にならないか

だから「日本はソリューションで勝負」という話には、どうしても既視感がある。

ハードウェアは中国から買う。

AIはアメリカから借りる。

日本企業は顧客の現場に行って、細かな要望を聞いて、それらを組み合わせて導入する。

……これ、かなり見覚えがある。

日本のIT業界が長年やってきたシステムインテグレーションそのものではないか。

もちろん、それで金を稼げるなら商売としては成立する。世界中のすべての企業がプラットフォーマーになる必要もない。

しかし、国家レベルの成長戦略として「フィジカルAIではソリューションで勝つ」と言うのであれば、その先まで考えないと危ない。

現場で得たデータを誰が所有するのか。

ノウハウをどう蓄積するのか。

個別案件で終わらせず、どう製品化して横展開するのか。

海外でも使える形にどう標準化するのか。

そして何より、上位のプラットフォーマーが同じ機能を提供してきたとき、何が自分たちの手元に残るのか。

ここを作れなければ、日本企業はフィジカルAI時代になっても、世界から買ってきた部品を顧客の要望に合わせて組み立てる「高性能な下請け」から抜け出せない。

そういえば、昔「先行者」というロボットがいた

ここまで考えていて、突然、昔の中国製ロボットを思い出した。

「先行者」である。

中国で開発された人型ロボット「先行者」

2000年前後、中国で開発された人型ロボットが日本のネットで大変な話題になった。

当時の日本にはHONDAのASIMOがあった。二足歩行で滑らかに歩くASIMOと比べると、「先行者」はいかにも無骨で、見た目のインパクトも強烈だった。もちろん馬鹿にする意味でである。

日本のネットでは格好のネタになった。

画像が加工され、パロディが作られ、ネットミームになった。

私も笑っていた側である。

当時の日本から見れば、それくらい技術力に差があるように見えたのだ。

日本には世界最高水準の自動車メーカーがあり、産業用ロボットがあり、精密機械があり、ASIMOまで歩いている。

一方、中国から出てきた人型ロボットを見て、

「中国のロボットって、こんな感じなのか」

と笑っていた。

あれから約四半世紀。

いまフィジカルAIの未来を語る番組を見ると、ロボットのハードウェアでは中国勢の価格競争力と量産力が脅威になり、日本は「中国製の身体とアメリカ製の頭脳をどう現場に導入するか」で勝負しようとしている。

立場はずいぶん変わった。

技術競争では、現在の完成度だけを見て相手を笑うのは危険なのだろう。

未完成でも作る。

笑われても作る。

売れなくても改良する。

それを20年、30年続ける。

気がついたときには、笑っていた側が「どうやって勝てばいいのか」を考える番になっている。

「先行者」という名前は、当時の日本では名前まで含めてネタにされていた。

しかし今振り返ると、少し笑えない。

本当に「先行者」だったのは、どちらだったのだろう。