活断層が見えるようになって困る人たち――知らなければ幸せだった土地の話

先日、活断層の位置を詳しく調べ、地図上で確認できるようにする取り組みについてのニュースを見た。

活断層とは、過去に繰り返しずれ動いた痕跡があり、今後も地震を引き起こす可能性がある断層のことである。

防災という観点では、実に素晴らしい技術の進歩である。

どこに危険があるのか分かれば、そこを避けて建物を建てればいい。行政も住民も、より安全な判断ができる。

めでたし、めでたし。

……とは、なかなかいかない。

危険な場所が分かるということは、そこに土地や家を持っている人にとって、知りたくなかった事実が明らかになるということでもある。

活断層を避ければいい? そんな簡単な話ではない

そのニュースでは、開発予定地に活断層が見つかり、建設計画を変更して回避したという事例が紹介されていた。

なるほど、安全第一。立派な判断である。

しかし、事業者の立場になれば、そう簡単ではない。

すでに土地を購入し、設計を進め、資金を投入している。そこへ突然「この場所には活断層があります」と言われたらどうなるか。

建物の配置を変更すれば、販売できる区画が減る。計画によっては、事業そのものが赤字になる。

安全のためだから仕方ない。

そう言うのは簡単だが、損失を負担するのは事業者である。

さらに厄介なのは、すでに住宅が建っている場合だ。

何十年も前から人が暮らしている住宅地の真下に、活断層があると判明したらどうするのか。

家を移動させるわけにもいかない。

地図の上なら線を一本引けば済むが、その線の上には人の財産と人生が乗っている。

知っていて売ったら、誰の責任なのか

もう一つ気になるのが、不動産業者の責任である。

仮に、開発業者が活断層の存在を知りながら、その情報を伏せて住宅を販売していたらどうなるか。

購入者からすれば、たまったものではない。

何千万円もの住宅ローンを組んで購入した家が、実は活断層の真上だった。

そんなことを後から知らされても困る。

当然、契約不適合責任や説明義務違反などを巡って、裁判になる可能性がある。

ただし、実際に責任を問えるかどうかは、売買時点で何が分かっていたのか、どのような説明が必要だったのかによって変わる。

そして、裁判で勝てたとしても、事業者が倒産していれば賠償金を回収できるとは限らない。

結局、住宅購入者が大きな損失を抱えたままになることも考えられる。

技術の進歩によって危険が見えるようになった。

しかし、見えるようになったからといって、誰かが損失を補償してくれるわけではない。

自分の家の下に活断層があると知りたいか?

ここで、もっと意地悪な問題が出てくる。

すでに家を所有している人は、自宅の真下に活断層があるかどうか、本当に知りたいのだろうか。

安全のためには知っておいた方がいい。

しかし、活断層があると公表されれば、土地の資産価値が下がるかもしれない。

売却しようとしても買い手がつかない。住宅ローンだけが残る。

昨日まで何千万円もの価値があった自宅が、調査結果の発表によって突然、売りにくい物件になってしまう。

地面の下で何かが変わったわけではない。

変わったのは、人間がその事実を知ってしまったことだけである。

そう考えると、地域住民が詳細な調査や公表に反発する心理も理解できる。

行政は「住民の安全を守るため」と説明する。

しかし、住民にとっては、その安全情報が自分の財産価値を破壊する可能性がある。

命を守るために情報を公開するべきなのか。それとも、財産を守るために知らないままでいた方が幸せなのか。

実に厄介な話である。

科学は危険を教えてくれるが、損失までは引き受けてくれない

活断層の可視化は、科学技術の進歩である。

しかし、科学が答えられるのは「どこが危険なのか」という問いまでだ。

そこに住んでいる人をどうするのか。

土地の価値が下がった場合、誰が損失を負担するのか。

新たな建築を制限するなら、土地所有者に補償するのか。

こうした問題は、科学ではなく政治と法律の仕事になる。

危険が分かった以上、行政は無視できない。しかし、規制すれば土地所有者や事業者が損をする。

かといって、何もしなければ、将来地震が起きたときに「危険を知っていたのになぜ放置した」と批判される。

行政にとっても、なかなか逃げ場がない。

技術が進歩すれば、社会はより合理的になる。

そう考えたくなるが、現実はもう少し面倒である。

科学が一つの問題を解決すると、それまで見えなかった別の問題がいくつも現れる。

活断層の可視化は、その典型なのだろう。

もっとも、ここまで偉そうに論じておいて何だが、私自身は家を買っていないし、住宅ローンも抱えていない。

つまり、今のところ完全に他人事である。

他人の土地が暴落するかもしれないという話を、こうして知的好奇心だけで眺めていられる。

他人事というのは、実に地盤が安定している。