なぜ私は「面白い歴史作家」の本を読まなくなったのか──YouTubeで専門家の話を聞くようになって変わったこと
私は結構、歴史が好きな方である。
特に昔は、歴史の「異説」を扱う本が好きだった。
学校で習う教科書とは違う視点から歴史を読み解く本は、とにかく面白い。「実は○○には裏があった」「教科書は真実を隠している」──そんな話はストーリーとして非常によくできている。
私もある歴史作家の本を何冊も読んだ。タイトルはあえて出さないが、既存の歴史学を痛烈に批判し、「本質はこうだ」と大胆な解釈を展開するタイプの作家である。
当時は、それを純粋に楽しんでいた。
ところが最近、その人の本を全く読まなくなった。
YouTubeで動画を見かけても、クリックすらしない。
理由は単純である。
もっと面白いものを見つけてしまったからだ。
それは、歴史学者本人のYouTubeチャンネルである。
最近は大学の研究者や博物館の学芸員など、本職の人たちが自ら発信するようになった。
彼らの話は決して派手ではない。
「この史料にはこう書かれています。」
「別の史料とは少し食い違っています。」
「現時点では断定できません。」
そんな話が延々と続く。
エンターテインメントとして見れば、むしろ地味だ。
しかし、聞けば聞くほど、「学問とはこういうものなのか」と思うようになった。
歴史学者は結論から話さない。
まず史料を集める。
その史料が信用できるかを検討する。
矛盾があれば、それも隠さず示す。
そして最後に、「現時点では、これが最も妥当な解釈でしょう」と結論を置く。
一方で、歴史エンターテイナーは逆のことをする。
最初に結論がある。
その結論を補強する史料だけを集める。
都合の悪い史料は、「例外」か「学者が馬鹿だから」で片付ける。
もちろん全員がそうだと言うつもりはない。
しかし、この構造の違いに気付いてしまうと、以前のようには読めなくなった。
実は私は大学で素粒子物理学を専攻していた。
そのせいか、「量子力学によれば思考は現実化する」とか、「引き寄せの法則は量子力学で証明されている」といった話を聞くと、どうしても違和感を覚える。
量子力学という権威を借りているだけで、実際には論理が飛躍しているからだ。
ミクロの世界で起きる不思議な現象を、そのまま私たちが生きるマクロの世界へ持ち込んでいる。
物理学の研究者なら、そんな議論はまずしない。
よく考えると、歴史でも同じことが起きているようだ。
最初に「こうだったに違いない」という結論を決める。
そして、その結論に都合のいい史料だけを拾い集める。
英語では Cherry-picking(チェリーピッキング) と呼ばれる手法だ。
サクランボの中から、おいしそうな実だけを選ぶように、自説に都合の良い証拠だけを抜き出す。
ニセ科学でも歴史でも、この手法は驚くほどよく使われる。
だから最近は、「学界は頭が固い」「専門家は本質が見えていない」といった決まり文句を聞くと、まず一歩引いて考えるようになった。
専門家が必ず正しいとは思わない。
学説は更新されるし、研究者同士でも激しく議論している。
しかし、その議論にも最低限のルールがある。
史料を示す。
反証があれば検討する。
分からないことは「分からない」と言う。
この手続きを踏んでいるからこそ、学問は少しずつ前へ進んでいく。
そういえば、歴史学者のYouTubeを見ていて印象に残ったことがある。
エジプトのピラミッドを長年研究している先生が、基礎部分の映像を紹介していた。
私は勝手に、「何千年も前とは思えないほど精密なんだろうな」と想像していた。
ところが実際の映像を見ると、意外だった。
石は機械加工したようにピタリと揃っているわけではなく、「案外こんなものなのか」と思うくらい、人間が積み上げたらこうなるよね、という現実的な姿だった。
その先生は笑いながら、
「宇宙人だったら、もっとちゃんと作ると思うんですけどね(笑)」
と、さらっと一言。
宇宙人建造説を真正面から論破したわけでもない。
陰謀論を声高に否定したわけでもない。
ただ、現物を見せただけである。
事実というのは、案外そんなものなのだ。
派手な反論より、一枚の史料、一つの映像のほうが、よほど雄弁なことがある。
歴史ビジネスに関しては、もう一つ注目すべき点がある。
昔は出版社が情報の入口だった。
出版社は商売なので、当然ながら売れる本を作る。
「実は教科書は全部間違っていた」のほうが、「現時点では断定できません」より売れる。
だから一般の読者が触れる情報も、どうしても刺激の強いものに偏りやすかった。
ところが今は違う。
歴史学者本人がYouTubeで話し、大学の講義を公開し、論文の内容まで一般向けに解説している。
もちろんYouTubeにも玉石混交はある。
しかし少なくとも、「専門家の話を直接聞く」という選択肢が誰にでも開かれた。
これはインターネットがもたらした、とても大きな変化だと思う。
派手な陰謀論や大胆な歴史解釈は、今でもエンターテインメントとしては面白い。
だが、事実を知りたいなら、面白さより先に手続きがある。
私は昔、「面白い歴史作家」の本を夢中になって読んでいた。
今では、その時間があれば、少し地味でも歴史学者の解説動画を見る。
年を取ったからなのか、YouTubeのおかげなのかは分からない。
ただ一つ言えるのは、「分からないことを分からないと言える人」のほうが、「全部分かった」と言い切る人より、私は信用できるようになった。