「親しき仲にも礼儀あり」という言葉が、昔から存在する理由

今、実家の周りを3周目である。

別に散歩がしたいわけではない。実家に用事があって来たのだが、玄関の向こうから聞き覚えのある声が聞こえてきた。

近所のおばさんである。母とは長い友人関係である。

私はそっと引き返し、スマホにこの文章を音声入力しながら、実家の周囲をぐるぐる歩いている。

別にこのおばさんが嫌いなわけではない。むしろ恩人である。

私が子供の頃、弟が生まれた際には私を預かって面倒を見てくれた。親戚同様に親しい間柄と言ってもいい。

ただ、一度捕まると話が長い。

世間話が延々と続き、なかなか解放してもらえない。しかも、少々うるさい。

向こうに悪気はない。昔から知っている子供なのだから、遠慮なく話しかけてくる。それだけ親しく思ってくれているのだろう。

しかし、こちらもいい歳になった。いつまでも近所の子供として扱われるのは、正直なところ面倒なのである。

なぜ「親しき仲にも礼儀あり」なのか

日本には「親しき仲にも礼儀あり」ということわざがある。

どれほど親しい間柄でも、相手への礼儀や配慮を忘れてはいけないという意味だ。

歩きながら、ふと思った。

わざわざこんなことわざが昔から存在するということは、それだけ人間は親しい相手に遠慮するのが苦手なのではないか。

親しくなると、相手との境界線が曖昧になる。

多少失礼なことを言っても許される。相手の時間を奪っても構わない。家族同然なのだから遠慮はいらない。

そういう甘えが生まれる。

考えてみれば、他人には丁寧に接するのに、家族や親しい友人には平気で無神経なことを言う人間は珍しくない。

親しさが増すほど礼儀が失われる。だからこそ、昔の人はわざわざ戒めとして残したのだろう。

「親しき仲にも礼儀あり」と。

もっとも、こんなことわざが現代まで生き残っているところを見ると、人類は何百年たっても、この問題を解決できていないらしい。

そして、ようやく帰宅

そんなことを考えながら歩いていると、どうやらおばさんが帰った気配がした。

ようやく実家に入れる。

それにしても、親しい相手に礼儀を求めながら、本人には何も言わず、家の周りを3周もして逃げ回っている自分も相当なものである。

親しき仲にも礼儀あり。もっとも、本人に直接言えないからこそ、こんなことわざが必要なのだろう。

さて、そろそろ実家に入るとしよう。